(本稿は,『日本経済新聞』2008年10月6日朝刊,「経済教室」に掲載された。)

たばこ増税 効果いかに

岩本 康志

・喫煙規制に関する経済学的分析に脚光
・将来の影響を過小評価する傾向に着目
・事業者に近い伝統的経済学の意見、修正も


 今年に入り、たばこ税を引き上げて、たばこ価格を現在の1箱300円程度から国際価格の水準の1000円程度にしようとする案が浮上した。その背景には、来年度に控えた基礎年金の国庫負担引き上げの財源が必要という事情がある。愛煙家には迷惑でしかない重い税負担がなぜ必要なのか。これに対する経済学の考え方は、行動経済学の影響を受けて大きく転換した。今回は、たばこ税を含む喫煙規制に対する研究動向を見ていこう。

 まず税収にどんな影響があるのか。これは喫煙行動が価格にどう反応するかにかかっている。現在の税額は、国と地方のたばこ税、特別たばこ税を合わせて1箱当たり175円である。税額が5倍の875円になると300円のたばこは千円になる。仮に消費量が変化しなければ、2008年度予算ベースで8.8兆円の増収になる。しかし、価格上昇は消費の減少を招くだろう。
 依田高典・京大教授は、たばこが千円になると喫煙者の97%が禁煙しようとするとのアンケート結果をもとに、仮に禁煙希望者全員が禁煙に成功すれば、税収は1.9兆円の減収になると試算した。一方、五十嵐中・東大特任助教らの研究では、禁煙成功率と需要変化の研究蓄積をもとに、1.3兆円の増収になると推定している。
 だがたばこ税は税収を得るためだけにあるのではない。重い税を課すのは、喫煙がもたらす社会的損失を減らすためとされている。
 喫煙で起きる疾病の治療費や早世による労働力損失などが、喫煙の費用としてよく語られる。だが、だからといって、即座に課税が経済学的に正当化されるわけではない。経済学では消費行動は基本的に個人の合理的選択の結果だと考える。従って、健康に悪く費用もかかることを承知の上で喫煙しているなら、その人は費用を上回る満足を得ている、いいかえれば、喫煙による便益で費用は相殺されているとみなさざるを得ない。たばこの悪影響に関する情報が適切に提供されていれば、後は個人の選択に任せるのが望ましいことになる。 合理的選択を前提にした場合、たばこ税の根拠となるのは、個人の意思決定では考慮されないが、社会全体では費用が発生するという負の外部性である。外部効果となる費用分だけ課税することで、喫煙の社会的費用を正しく把握した選択がされるように誘導するのが、ピグー税の考え方である。たばこ税では、3種類の外部効果が重要である。
 第1は社会保険を通じた外部効果だ。喫煙習慣の有無で保険料に差がないと、喫煙による健康障害に対する医療保険給付に非喫煙者の保険料が使われてしまう。一方、喫煙者の平均余命が短いため、公的年金では逆に喫煙者の保険料が非喫煙者の給付に回り、医療保険の外部性を相当程度相殺する。このため、必要なたばこ税の水準は低い。
 1989年の米シカゴ大学のマニング教授らの研究では、この効果は1箱16セントで、たばこ税の水準より低いという結果を得た。95年のバンダービルド大学のビスカシ教授の研究では、むしろ年金給付の効果が上回り、正の外部効果が発生するという。
 第2は喫煙者の副流煙で生じる被害を喫煙者が考慮にいれないことだ。受動喫煙の様相を正確に把握するのは難しいが、代表的な被害をまとめたイリノイ大学シカゴ校のチャロープカ教授とミシガン大学のワーナー教授の推計では、94年価格で受動喫煙による肺がんが1箱19セント、心疾患が同77セント程度だった。
 第3は妊婦の喫煙が胎児の健康に与える影響だ。メリーランド大学のエバンス教授らの研究では、この損失を94年価格で1箱42―72セントと推計している。
 一方、喫煙が合理的な選択の結果ではなく、将来の悪影響を過小評価していると、意思決定に考慮されない費用が存在することになる。このときは、その費用分の税を課して喫煙行動に影響を与えることが望ましい。
 心理学の知見を取り入れた行動経済学では、将来より現在の利益や損失を個人が重く見る傾向がある点に着目する。米退役軍人省のエインズリー氏は「双曲割引」と呼ばれるモデルでこの現象を説明した。このアプローチを用い、2000年にマサチューセッツ工科大学のグルーバー教授とカリフォルニア大学バークレー校のケーセギ教授は、将来を軽視する意思決定を是正するには一箱一ドル以上の税が望ましいと結論づけた。
 だが喫煙が合理的な選択の結果でなくても、政府が望ましい方向へ導くように介入する温情主義的政策がただちに正当化されるわけではない。政府が誘導したい帰結が間違っている危険があるからだ。規制される事業者の働きかけで、政府の意思決定がゆがむ恐れもある。日本たばこ産業の株式の半数は政府保有でありその危険は見過ごせない。

 経済合理的な喫煙者、すなわち愛煙家は別として、禁煙したいのにやめられない人(禁煙希望者)や未成年者に対する温情主義的政策は社会的にも認められているという前提で、たばこ税を考えるとどうなるだろうか。
 まず未成年者は、行動が近視眼的になりやすく、健康障害の情報を周知させる効果は成年者よりも弱い。したがって、税を課して現在に費用を感じさせてたばこから遠ざける政策が効果的だ。多くの実証研究では、喫煙は未成年者の方が価格に敏感に反応することが明らかにされており、価格引き上げで未成年者の喫煙率は大きく下げられる。
 引き上げ幅が大幅な場合、喫煙者への負担増に配慮して段階的に引き上げることも予想されるが、禁煙への契機として利用するなら、むしろ一気に引き上げる「ショック療法」が有効かもしれない。
 一方、禁煙希望者の中でも喫煙量を容易に減らせない重度の喫煙者は、たばこ税などの経済的規制は必ずしも有効ではない。生理学による薬物依存の研究によると、禁煙が失敗するのは、個人の意志の弱さというより、ニコチンの継続摂取によってニコチンを切望する欲求が生じる仕組みが脳内に形成されるからだという。この考えでは喫煙は趣味・嗜好(しこう)ではなく、いわば脳内回路の誤作動による病気ということになる。
 その場合、たばこ税は喫煙者に経済的負担を与える過酷な政策になる。禁煙治療への支援が重要で、たばこ税増税は禁煙成功率を高める施策と組み合わせる必要がある。
 では、愛煙家の存在は喫煙規制にどう影響するだろうか。仮に愛煙家が存在しない、すなわち合理的な判断がなされれば誰も喫煙しないと考えるなら、規制の構造は比較的簡単だ。つまり禁煙治療の財源にたばこ税をあてれば、非喫煙者に負担を求めることなく、禁煙希望者と未成年者の健康を改善できるわけだ。
 愛煙家がいるとすれば、本来は高い負担理由がない彼らに負担を課してしまうことになる。コーネル大学のオドナヒュー教授とカリフォルニア大学バークレー校のラビン教授は、愛煙家と禁煙希望者双方が存在する状態でのたばこ税の影響を研究した。その結論は愛煙家の喫煙量が十分少なくないと、たばこ税で愛煙家の負担が生じてしまう状態になるというものだった。
 以上のように、すべての人を満足させる政策介入が存在するのか未解明であり、今後の研究が必要だ。

 喫煙規制は、公衆衛生、医学、心理学などをまたいで学際的に議論されている。経済学以外の研究分野がほぼ規制に積極的な一方、合理性に基づく選択に重きを置く経済学者の意見は規制に慎重で、たばこ需要の減少を避けたい事業者に近い立場にあった。
 この点で、行動経済学は、喫煙の非合理性を経済分析に取り入れることで、より柔軟に喫煙規制を考える道を開いた。もちろん、行動経済学だけで直接、喫煙規制が設計できるわけではない。複雑な利害が絡む中での政策構築や、費用と便益の比較考量の課題について、伝統的な経済分析が学際的な議論に貢献する際の重要な懸け橋になっているということだろう。


(上記事に関する日経ネットPLUS掲載原稿)

 市場の失敗,所得再分配とならび,温情主義(パターナリズム。家父長主義と訳されることもあります)は,政府が市場経済に介入する根拠のひとつです。個人の選択について,どこから政府による介入が必要なのか。自由至上主義(リバタリアニズム)と温情主義の対立点として,簡単に回答の出ない問題です。
 わが国では,「賢い政府」の考え方が定着しているのか,温情主義的政策が広く見られるように思います。例えば,商店街が衰退し,シャッター街となることが問題視され,郊外への大型店舗の出店を規制する動きがあります。しかし,どこで買物をするかについて,消費者の選択は間違っているのでしょうか。どういう理由で,政府が介入しなければいけないのでしょうか。
 温情主義的政策の是非は,合理的選択の想定に縛られた伝統的な経済学ではなかなか厳密に分析できませんでした。最近注目されている行動経済学は消費者の行動の誤りを科学的に分析する分野であり,温情主義的政策の議論を進化させる可能性をもっています。先月の日本経済学会の講演で,私もこの課題を考察しました。
 たばこ税をめぐる議論は,行動経済学が政策にどのような影響を与えるのかを考えるのに格好な素材なので,今回とりあげることにしました。
 また,紙面で紹介した議論の多くは,薬物規制の問題にも応用できます。麻薬使用には温情主義による介入が必要なことは疑いを容れませんが,単に禁止だけでは片付かない問題です。角界の大麻汚染が問題になっていますが,欧州諸国では個人の少量所持を容認する国が増えており,今後も文化摩擦が生じることが予想されます。わが国は麻薬には厳しいですが,たばこには甘い国です。使用禁止で思考停止することなく,規制の体系全体を整合的に考えることも必要です。
 薬物規制は一見,経済政策の範囲外のようでが,経済学的な考え方はその理論的基盤となります。第1に,規制の利益と費用とを考量して,純便益を最大にする政策を選ぶという政策の考え方の枠組みを提供します。第2に,利益と費用は何であるか,を明確にする考え方の枠組みを提供します。第3に,疫学的研究,生理学的研究と連携しながら,利益と費用を計測します。
 経済学者にとっては,他分野からの知的刺激を受けながら,経済学の貢献を示していく醍醐味を味わえる研究課題です。たばこ税が必要でない愛煙家と必要である禁煙希望者とを政府が区別できない場合にどう課税するかは,非対称情報のもとでの制度設計の問題であり,経済学でなければ考えられない問題です。政策担当者にとっても,政策立案の総合力が問われる,やりがいのある政策課題だといえます。

最後に,記事で紹介した研究の原典を紹介します。
ジョージ・エインズリー(2006),『誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか』,NTT出版
Chaloupka, Frank J., and Kenneth E. Warner (2000), “The Economics of Smoking,” in Anthony J. Culyer and Joseph P. Newhouse eds., Handbook of Health Economics, Volume IA, Amsterdam: Elsevier, pp. 1539-1627.
Evans, William N., Jeanne S Ringel, and Diana Stech (1999), “Tobacco Taxes and Public Policy to Discourage Smoking,” in James M. Poterba ed., Tax Policy and the Economy 13, Cambridge, MA: MIT Press, pp. 1-55.
Gruber, Jonathan, and Botond Koszegi (2001), “Is Addiction ‘Rational’? Theory and Evidence,” Quarterly Journal of Economics, Vol. 116, Issue 4, November, pp. 1261-1303.
依田高典(2008),「大幅な税収効果は見込めない」,『Voice』,10月号,152-155頁
五十嵐中・池田俊也・後藤励・清原康介・三浦秀史・高橋裕子・西村周三(2008),「たばこ増税が総税収に及ぼす影響の推計:コンジョイント分析に基づく推計」,『喫煙科学』第2巻・第3号,25-35頁
Manning, W. G., E. B. Keeler, J. P. Newhouse, E. M. Sloss and J. Wasserman (1989), “The Taxes of Sin: Do Smokers and Drinkers pay Their Way?” Journal of American Medical Association, Vol. 261, No. 11, March 17, pp. 1604-1609.
O’Donoghue, Ted, and Matthew Rabin (2006), “Optimal Sin Taxes,” Journal of Public Economics, Vol. 90, Nos. 10/11, November, pp. 1825-1849.
Viscusi, W. Kip (1995), “Cigarette Taxation and the Social Consequences of Smoking,” in James M. Poterba ed., Tax Policy and the Economy 9, Cambridge, MA: MIT Press, pp. 51-101.


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