(本稿は,『日本経済新聞』2006年8月9日朝刊,「経済教室」に掲載された。)

政策決定 内閣主導確立を

岩本 康志
財政赤字の発生や健全化の方策を考える上で,政治経済学的アプローチが 有効である。政策決定プロセスのあり方が健全化の成否を左右するだけに,小泉政権下で強まった内閣主導をさらに進め,透明性を確保するとともに,選挙制度 改革で利益誘導政治と決別すべきである。

利害調整遅れが財政赤字の要因

 先月閣議決定された「骨太方針2006」は,政策決定プロセスの変化を印象づけた。歳出・歳入一体改革の最も困難な部分である歳出削減の具体案づくりは 自民党内で行われ,今年4月以降は経済財政諮問会議の存在感が低くなった。政府と与党の協力関係が確立されれば,諮問会議は役割を終えるのであろうか。
 骨太方針の内容に加え,政策決定プロセスがどうあるべきかも興味深い課題である。財政赤字の政治経済学的分析では,政策決定プロセスが財政健全化の成否 に重要な影響をもつと考える。以下では,諮問会議の役割は消失したわけでなく,むしろ今回は不十分に終わった内閣主導のプロセスを確立させることが財政健 全化に資することを示したい。
 1980年代以降に多くの先進国で発生した持続的な財政赤字は,経済合理性では説明し難く,経済学者は政治経済学に説明を求めた。しかし,単に政治体制 だけに原因を求めるのでは,体制が変化しなければ財政赤字は恒常的になり,80年代以降の特定の時期に問題が深刻化した現象をうまく説明できない。
 政治経済学的分析は政策決定プロセスを,個別利益を追求する勢力の利害調整の場として描写する。米国のA・アレシナ教授(ハーバード大)とA・ドレイゼ ン教授(メリーランド大)による「問題先送り」の理論は,財政が悪化するショックが発生した場合,財政改善のための利害調整が遅れると財政赤字が発生する と考える。例えば連立政権では利害対立の調整がより複雑になり,問題先送りによる財政赤字が生じやすくなる。
 政治体制の違いによって財政状況の悪化への対応が違ってくると考えると,財政赤字に悩む国と健全化に成功した国での差を説明できる。財政悪化の発生と政 治体制の違いを組み合わせ,先進諸国の経験をうまく説明できることから,学界で広く支持されている。
 わが国は,高度成長の終焉(しゅうえん)後やバブル崩壊後という低成長時に財政収支を迅速に改善できず赤字が拡大しただけに,問題先送り理論の説明力は 高い。
 債務残高が先進国最悪になったのも,わが国の政治体制では個別利益を追求する利益誘導の力が強く,総合調整の力が弱いことが理由と考えられる。これは, 従来の自民党政治が派閥を党内党とする連立政権であるという見方に符合する。
 裏返すと政治体制の改革が財政健全化に役立つことも示唆される。例えば,スウェーデンのペルソン(ストックホルム大)とイタリアのタベリーニ(ボッコー ニ大)両教授の広範囲な国の実証研究では,小選挙区制をとる国は比例代表制をとる国より財政赤字が対国内総生産(GDP)比で2%小さいと結論づける。
 日本でも93年の選挙制度改革で衆議院が中選挙区制から小選挙区比例代表併用制に移行した。これは,派閥の力を弱めて首相の権限が強まり,財政健全化に も好影響をもたらすと考えられる。


諮問会議主導は過渡的なやり方

 わが国の予算編成は族議員の個別利益要求を財務省が総合調整するスタイルを長らくとり,本来,それを果たすべき内閣の役割が空洞化していた。また,政府 が法案を閣議決定する前に与党から了承を得る形で,政府と与党の二元体制が続いた。
 与党主導体制は,政策決定の透明性に欠け,族議員の発言力が強まり,国会の議論の空洞化を招く。与党議員も政府に対して意見をいうならば,党政務調査会 でなく国会で質問すべきである。
 小泉首相の政治手法は常識はずれといわれたが,首相が主導権をもつ点では理にかなっている。今後の政策形成プロセスは従来型に回帰するのではなく,官邸 主導から内閣主導にさらに深化していくべきだろう。
 小泉政権のもとでは従来の政治手法を打破する2種類の実験がおこなわれたことになる。第1は,竹中経済財政担当相時代に諮問会議を司令塔として内閣主導 の意思決定を図ったことである。このときには政府と自民党との対立が注目されたが,政府と与党を一体化させる議員内閣制の趣旨からは外れた,過渡的な手法 であったといえる。
 一方,今回の歳出・歳入一体改革では,自民党側で歳出削減案をまとめて,個別利益の主張を押さえ込んだ。政府と与党の方向性が一致したことは好ましい変 化だが,二元体制が復活した感もある。これは,内閣が必要な総合調整をして政策決定を一元化できなかったことの裏返しであり,大きな課題を残した。個別項 目の削減を議論する諮問会議で所管大臣が官僚と族議員の利害を代弁し,歳出削減に反対する事態では,内閣主導は確立できない。
 次期政権が財政健全化を着実に進めるには,内閣主導の予算編成をおこなう仕組みを強化する必要がある。派閥推薦を受けず自らの意向で組閣する小泉首相の スタイルは継承されるべきだ。
 一体改革で歳出削減の数値目標は決まったものの具体策はこれからであり,大臣の役割が重要になる。今後,行政の非効率な部分にメスを入れる必要があり, 官僚と対立する場面が増える。大臣が官僚機構に一人で乗り込む形では,存分に力は発揮できない。


副大臣と政務官派閥推薦なくせ

 そこで,副大臣・政務官を派閥推薦ではなく実力本位で各大臣と党執行部が選出し,政治任用の補佐官を配し,大臣が力を発揮できる執政チームが内閣主導体 制の推進力となる体制を構築すべきだろう。また以前からいわれているが,一元体制確立のため,与党政調会長は入閣すべきである。
 選挙制度は財政支出の大きさに影響を与えることが理論的に予想され,実証研究でも確認されている。例えば単純小選挙区制で過半数の議席を得るのに最小限 必要な得票数は,過半数の選挙区で過半数となる25%超だが,比例代表制では半数強の得票が必要になる。したがって,比例代表制の方がより多くの有権者の 支持を得るような政府サービスの提供を公約せざるをえず,支出が大きくなると予想される。
 ペルソン,タベリーニ両教授による実証研究では,小選挙区制では比例代表制より政府支出は対GDP比で5%小さくなるとの結果を得ている。
 しかし,小選挙区制で支出削減の合意が得られやすくなっても,合意内容に利益誘導が見られなくなるわけではなく,政権維持を左右する特定層のための支出 に偏ることが予想される。したがって,歳出削減では幅広い層が受益者となる支出が削減され,特定層が利益を得る支出が温存されやすくなるかもしれない。
 小泉首相は,全体の利益を追求する姿勢で国民の支持を得て,政権維持につなげた。これは利益誘導を抑えることに貢献しており,今後も継承されることが望 ましい。
 しかし,この姿勢をとると,来年の統一地方選と参議院選挙が大きな関門となる。大規模な垂直的財政移転を行う地方財政制度は利益誘導の温床である。この 制度の受益側(地方)と負担側(都市)が,政権選挙の対立軸となる可能性は大きい。
 あわせて参院地方区は地方を重視し,一票の格差が大きい。したがって,全体の利益を優先させ,地方への利益誘導となる支出を抑える戦略は,選挙には不利 となる。
 政権のとり得る選択肢は二つある。一つは参院の議席構造を所与とし,地方への財政移転を手厚くする選択肢である。
 しかし,本筋の選択肢は利益誘導政治を助長する制度のひずみを是正することである。参院選挙区の定数配分は二院制のもとでの特色を出すことで正当化され ているが,このような上院の役割は外国では制限されていることが多い。
 「強すぎる参議院」は望ましい姿ではなく,権限を小さくするか選挙区を見直すかの改革が必要である。地方財政制度を改革し,地方税収の偏在をなくし,各 地域が財政的により自立することで,利益誘導が図られる余地を減らしていくことも望まれる。


(注) 文中に引用された研究の原典は以下のものです。
Alberto Alesina and Allan Drazen (1991), “Why Are Stabilization Delayed?” American Economic Review, Vol. 81, No. 5, December, pp. 1170-1188.
Torsten Persson and Guido Tabellini (2003), The Economic Effects of Constitutions, Cambridge, MA: The MIT Press.

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