郵貯民営化の是非

岩本 康志

2005年1月

 「公的部門に流れていた資金を民間部門に流し,国民の貯蓄を経済の活性化につなげる」ための手段は,郵 貯民営化ではなく,特殊法人と一般会計の事業を見直して,その資金調達を減少させることである。
 郵貯民営化の是非は,個人向け国債の販売窓口としての公的機関が必要か,民間機関を窓口にすれば十分か,によって判断される。

 郵政民営化は手段であって,それ自体は目的ではない。どのような目的を達成するために郵政を民営化するのか,が明確で妥当なものでなければ議論は混乱す る。郵政事業のなかの郵便貯金に関して,現行の改革の問題点を整理しよう。

 「郵政民営化の基本方針」(2004年9月10日,閣議決定)では,郵政民営化を進める理由のひとつに,「公的部門に流れていた資金を民間部門に流し, 国民の貯蓄を経済の活性化につなげることが可能になる」ことをあげている。
 郵貯に関する,この議論には以下のような問題がある。
 第1に,この議論は,郵貯の資金を財投に預託する義務があった2001年以前の制度を前提にしている。2001年の財政投融資の改革により,郵貯は財投 から切り離され,新規資金は全額自主運用されることになった。したがって,(財投債を購入して)資金を特殊法人に回しているのは,郵貯の自主的な判断であ る。もし,郵貯が自主的に判断して特殊法人に資金を回しすぎていると政府が思うのであれば,公的機関である郵貯の判断に介入して,民間資金での運用を増や すように指示すればよい。民間金融機関が大量の国債を保有している現在の状況で,郵貯が民間会社になれば民間資金に運用をシフトさせると信じられる理由は 乏しい(購入者から見た場合,財投債と国債は同等の商品である)。したがって,民営化しない方が目的を達成しやすい。
 第2に,自主的判断は建前で,政府のどこかの部門の圧力で特殊法人に資金が流れているのであれば,その圧力の根源を取り除くことが正しい解決策である。 さもなければ,郵貯以外の資金調達手段(財投債の市中消化の増加)を利用して,相変わらず特殊法人が資金調達をして,問題は是正されないであろう。結局, 特殊法人の資金調達量を変えなければ,かりに郵貯の資金が民間に回っても,民間で利用できる資金の総量が増えるわけではない。したがって,「国民の貯蓄を 経済の活性化につなげる」ならば,やるべきは,特殊法人の事業を見直して資金調達を減らすことである。2001年の財投改革により郵貯と財投の関係は切れ ているので,特殊法人の見直しは郵貯とはまったく別個の問題である。また,財政を健全化することによって国債発行を減らすことも,民間貯蓄を民間投資に向 けることで,同様の効果をもつ。
 以上のことから,「国民の貯蓄を経済の活性化につなげる」政策目的自体は妥当であるが,郵政民営化という手段は,財投制度の事実誤認から導かれたもので あり,目的を達成しない。

 では,郵貯の民営化の是非はどのような視点から考えればよいのか。
 郵貯の処遇は,財投だけではなく一般会計までを含み,過去50年から将来を見据えた広い視野のなかで考える必要がある。財投成立から1970年代前半ま では,一般会計は資金調達の必要はなく,資金不足部門である特殊法人へ資金供給する公的機関としての郵貯の機能は,特殊法人が妥当な事業をしている限り, 意義のあるものであった。
 この後で起こった資金の流れの構造変化は,一般会計が資金不足部門に転換したことであった。ここで,財投と郵貯は制度の転換をし損ねた。すなわち,政府 の資金調達手段として機能するためには,事業目的が飽和してきた特殊法人への資金供給を抑え,国債の消化を助けるよう,財投の位置付けを変えなければいけ なかった。しかし,あくまで特殊法人への資金供給が財投計画であり,資金運用部資金の国債引き受けは財投外とされたままだったのである。このことは特殊法 人の不必要な膨張につながったが,ここだけに着目すると,「基本方針」のように大局を見失ってしまう。
 やがて,郵貯が自主運用を始めることによって,資金の流れはさらにおかしな姿になった。すなわち,政府は大量の国債を発行して資金調達しなければいけな い一方で,資金調達手段である郵貯がその資金を政府以外のところに回し始めたのである。
 このような資金の流れのねじれを正す道は2つあった。ひとつは,郵貯は自主運用をやめて資金を国債で運用し,定額貯金(個人向け国債)を個人に販売する ことで,公的部門の資金調達手段の役割を果たすことである。公的部門がやる必要のない資金運用をやめることに加えて,定額貯金を個人向け国債の預かり口座 に転換してしまえば,これをオフバランス化することができ,郵貯の経営は簡明なものになる。もうひとつの選択肢は,自主運用を続けるのであれば,公的部門 である意義はもはやないので,民間部門になることである。この場合は,政府は公的機関としての資金調達手段を失うことになり,民間金融機関と民営化された 郵貯会社で個人向け国債を販売することで代替することになる。

 結局,郵貯民営化の是非は,個人向け国債の販売窓口としての公的機関が必要か,民間機関を窓口にすれば十分か,によって判断されるのである。

 筆者は,民間金融機関を窓口にした資金調達でやっていける,郵貯の自主運用は後戻りできないところまで来ている,と判断して,郵貯の民営化を支持する。 しかし,政府はこのような視点からの議論を十分に積み重ねないで,民営化の判断を出したように見受けられる。誤った議論に基づいたままでは,民営化会社の 制度設計についても誤りを犯しかねない。民営化された郵政事業全体の制度設計については,拙稿「定額貯金を個人向け国債に転換」(PDF file)を参照されたい。

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