(本稿は,『日本経済新聞』2004年8月5日朝刊,「経済教室」に掲載された。)
少子化と人口減少 年金,積み立て方式併用を
岩本 康志
将来の出生率の正確な予測は困難であり,人口動向にはリスクがある。賦 課方式で運営される公的年金は,このリスクを明示するか,リスク分散の観点から積み立て方式との併用に改める必要がある。医療・介護についても将来に備え て事前積み立ての導入を急ぐべきである。
2025年の人口推計1割も下方修正
合計特殊出生率は昨年も低下し,戦後最低の1.29となった。出生率の低下が今後も続くのか,それともこれで底を打つのかは,社会保障制度の将来に大き な影響を与える。
少子化は,1960年ごろに生まれた世代から結婚・出産行動が構造変化し,世代が新しくなるにつれ,晩婚・未婚が進むことによって生じている。これまで の人口推計では,構造変化が収束するという想定が外れ続けており,新しい人口推計が出されるたびに出生率の予測は下方修正されてきた。
人口予測に与える影響も大きく,86年の将来推計では,2025年の日本の人口は1億3464万人になるとされていたが,2002年の推計では1億 2114万人と,16年間で一割も下方修正された。
02年の中位推計では,80年以降に生まれた女性の生涯未婚率と出生率は,ほぼ安定的に推移すると想定している。近年,20歳代前半の未婚率の上昇が鈍 化し,横ばいに移りつつあることは,このような想定を支持する一因となる。
しかし,20歳代後半以降の年齢階層では未婚率の上昇が止まる兆しはなく,今後の世代の晩婚・未婚がさらに進んだ場合は,出生率は今回の中位推計よりもさ らに低下するだろう。実績をもとに推論する出生率の予測の精度にはおのずと限界があり,実績値が中位推計を下回る下振れリスクがあると考えた方がよい。
少子化の進展は,社会保障制度の運営に大きな影響を与える。負担増を抑えるために,出生率を上昇させること,女性と高齢者の労働力率を高めること,医 療・介護サービスを効率化して費用を削減することなどは当然に必要である。とくに 少子化対策は,男性を含めた働き方やライフスタイルを変えるといった大 幅な社会の変革までが求められよう。
しかし,どれだけの成果をあげられるかは不確実である。したがって,日本社会は今後,出生率の低下がさらに進行する社会から,少子化対策などが功を奏して 少子化に歯止めがかかる社会まで,可能性には大きな幅がある。
リスクの本質国民の理解を
社会保障制度の議論は,将来人口の中位推計に基づくことが常であった。しかし,現在は,中位推計が最も可能性の高いシナリオであるというよりは,将来の 人口動向は大きな幅の中のどれが実現するかわからない状況にある。
持続可能な社会保障制度を設計する際には,将来人口は点推定値として見るのではなく,リスクとしてとらえる視点をもつ必要がある。そのとき課題になるの は,予測される変化にどう備え,見通しが外れるリスクにどう対応するかである。そして,将来にリスクがあることを前提に,それを誰が負担するのかをあらか じめ明確にしておくことが求められる。このような考えに立ち,社会保障制度の骨格を決める4つのポイントを指摘したい。
第1に,公的年金を保険料固定・賦課方式で運営するならば,少子化の進展にともなって給付水準が低下するような制度設計にすべきである。
今回の年金改革では,保険料率を将来的に18.3%に固定して,給付水準は現役世代の所得の50%を確保するものとされた。しかし,将来世代の人口が現 行予測よりも減少すれば,約束した給付水準を維持することは困難である。今回の改革の問題点は,人口リスクに目をそむけ,給付水準を約束してしまったこと にある。このため,リスクが顕在化すれば制度改正を迫られることになり,その際には国民の不信感は増幅され,制度の崩壊を招くおそれがある。
スウェーデンでのみなし掛け金建て方式のように,賦課方式の内部収益率である賃金成長率をもとに年金給付が決定される仕組みに改め,制度の透明性を高め て,リスクの本質を国民に理解してもらうことが必要である。
第2に,公的年金は賦課方式と積み立て方式との併用を図るべきである。
積み立て方式のもとでは収益率の変動やインフレによって将来の給付が左右されることが,公的年金で積み立て方式をとらない根拠とされてきた。しかし,給付 財源を将来世代の労働所得に頼る賦課方式では,給付は人口成長と技術進歩に影響される。年金給付に影響を与えるリスクは完全に避けられるものではない。
厚生年金の歴史を振り返ると,当初は積み立て方式で運営しようとしたが,低金利と高度成長の時代が到来し,給付のための積立金の実質的な価値が大きく低 下した。このため,73年の年金改正では賦課方式の要素を強めたが,そこで少子化と低成長が始まるという皮肉な結果になった。この歴史的経験は,状況に応 じて最善の選択をすることがいかに困難であるかを示している。
積み立て方式は運用リスクに影響されるが,人口・成長リスクの影響を受けない。賦課方式は運用リスクに影響されずに,人口・成長リスクの影響を受ける。 能力の限られた我々が実行できる政策は,両者の財政方式を併用することにより,年金給付のリスクを軽減することである。
具体的な改革としては,報酬比例給付の2階部分が従前生活の保障の意味をもつことから,2階部分を積み立て方式で運営し,1階部分は賦課方式とすること が考えられる。2階部分の積み立て方式への移行,さらには運用民営化を図ることは,リスク分散の観点からも意義がある。
団塊の世代に貢献求めよ
第3に,積み立て方式の運営は公的年金だけではなく,医療・介護保険にも適用すべきである。
医療・介護という高齢者の生存に必要な費用が社会全体で増加していくとき,少なくとも予測できる部分については,前もって貯蓄をして備えることが望まし い。
厚生労働省の予測による医療・介護費用の推計では,対国民所得比で今年度の8.5%から2025年度には14.5%に上昇する。この種の推計にも当然に誤 差は生じる。医療費の動向に影響を与える技術進歩を現在時点で正確に想定することはできない。介護費用では,制度が浸透する過程のこれまでの実績では,需 要の適正量をつかみづらい。しかし,これらは事前の備えが必要ではないという理由にはならない。
心配すべきは厚労省の推計が過小になっている事態である。代替的手法による推計が研究者によっていくつか試みられているが,その結果は厚労省の推計を若 干下回っており,厚労省の推計はおおむね妥当である。したがって,まずは厚労省が予測する医療・介護費用の増加に備えるように,現時点から保険料を引き上 げ,事前積み立てを目指すことが望ましい。
事前積み立てが遅れると,高齢化が進展した時点の現役世代に負担が重くかかる。団塊の世代に事前積み立てに貢献してもらうことが財政的には大きな意味を もつ。団塊の世代が退職時期を間近に控えている状況では,事前積み立ての導入に猶予の時間はほとんどない。
第4に,予測されなかったリスクが顕在化したときにどのように対応するかを考える必要がある。これには,世代間のリスク分散によって負担する仕組みを導 入することによって対応すべきである。
リスクを吸収するプールは大きな方が望ましく,他の政府支出との代替ができるように,リスクが顕在化した場合に国の一般会計から社会保険会計に財政移転を 行う仕組みが適当である。
具体的には,賦課方式の年金給付に最低保証部分を設けて,給付がそれを下回る場合には,一般会計からの財政移転で賄うようにする。医療・介護保険ではまず 積立金でリスクの吸収を図るが,予測できなかった費用の増加を積立金で支払えない場合には,差額の保険給付に対して一般会計からの財政移転をおこなう仕組 みを取り入れることにするのである。
一般向け記事へ戻る
岩本康志のホームページへ戻る
(C) 2004 Yasushi Iwamoto