(本稿は,『日本経済新聞』2003年9月11日朝刊,「経済教室」に掲載された。)
公的部門の改革 金融「中小」以外民営化早く
岩本 康志
公的金融機関の改革作業は先送りになっているが,これからの民間金融機関の健全な発展を見据えた抜本改 革の作業を急ぐべきだ。中小企業金融以外では危機対応の役割も薄い。その際,受け皿法人化による実質維持につながる「廃止」ではなく,民営化を選択すべき である。
補完の対象が大きく変わる
公的金融機関の改革は昨年の経済財政諮問会議の重要検討課題であったが,抜本的な改革作業は2005年度に先送りされることになり,議論は尻すぼみに なった。その背景には,民間の金融仲介機能が低下し再生への出口が見えないなか,後ろ向きの危機対応の役割が公的金融機関に期待され,本来のあるべき姿を 議論する状況でなかったことがある。
しかし,中小企業金融以外の分野では改革を先送りする理由はなく,ただちに抜本的な改革に取り組むべきであった。
わが国の公的金融の骨格は,1950年代前半に資金運用部と主要な公的金融機関が相次いで設立されることで形成された。その後の半世紀に金融システムは 大きく変革し,進化してきた。
公的金融機関の存在意義は,金融市場の機能を補完する金融仲介機関のなかで,民間金融機関の機能を補完する公的機関として,「二重の補完」を果たすこと にある。したがって,補完すべき対象の民間金融機関と金融市場の機能が変化すれば,公的金融機関の役割もおのずと変化しなければいけない。大企業の資金調 達は直接金融に移行し,金融仲介機関の果たす役割は縮小に向かっている。また民間金融機関の能力が高まれば公的金融の役割は縮小する。
しかし,公的金融機関は当初の骨格をほぼそのまま維持して,現在に至っている。民間金融機関のオーバーサイズが問題とされている一方で,公的金融機関の 人的規模の縮小はほとんど見られない。その規模を必要とする政策目的が常にあり続けると考えるのは不自然である。資金配分に政府の介入を必要とした戦後復 興期に対応したシステムが,そのまま残っていることが異常である。
こうした歴史的大局観に立てば,公的金融に必要な改革とは民業の圧迫への対症法的対応ではなく,これからの民間金融機関の健全な発展を見据えた上で公的 金融の役割を抜本的に見直すものでなくてはらない。そのときの公的金融機関の姿は現状から大きく変わったものになるだろう。
民業圧迫への対症法ではなく
公的金融機関の活動の是非を2つの角度から検討しよう。
まず,公的金融機関は長期・固定・低利の資金を融資できることに意義があるといわれてきたが,この考え方は見直しが必要である。現在では年金資金等で長 期・固定の資金運用のニーズが存在し,もはや民間が長期・固定金利の資金を提供できないとはいえない。
低利融資は政府からの明示的あるいは暗黙の補助金により可能となるが,どのような理由で低利資金を供給するのかを問い直す必要がある。投資プロジェクト が収益性以外の社会的便益をもつという外部性による説明は乱用されており,説得力のある根拠が示されていないものが大半である。外部性が虚構であれば,望 ましくない資源配分がもたらされる。
また,民間で融資を受けられない借り手に民間より好条件で融資することを正当化することも困難である。現在の問題は健全な民間金融機関が希少なことであ り,健全な金融機関の役割を代行することが公的金融機関に期待されていると考えるならば,補助金による低利融資は必要ない。低利融資できることと低利融資 していいことの間には大きな壁があり,現在の活動の多くはこの壁を超えられない。
第2の視点として,政府による市場への介入の正当性を判断する公共経済学の基準を公的金融に適用してみよう。公的金融機関による融資が意義をもつには, 第1に融資の対象が民間金融機関から融資を受けられないこと,第2に民間金融機関の融資をしない選択が誤っていてそこに融資することが社会的な観点から見 て望ましいことが説明されなければならない。しかし,公的金融機関の現在の活動についてはこのどちらも説得的には説明されてこなかった。
昨年末に経済財政諮問会議がまとめた「政策金融改革について」では,民間による信用供与がおこなわれない理由を,借り手に対する情報の不足と,投資プロ ジェクトのリスクの大きさの2つに整理している。
前者の情報の非対称性の問題では,公的金融機関が優位な情報を持てるとは限らないので,民間と同等の情報制約に服しながら便益が生み出されるには,まず 貸出市場に逆選択(リスクの高い借り手しか集まらず,貸し出しが慎重になって資金需要を下回る)が生じている状態であることが要請される。このとき政府の 介入で貸し出しを拡大させることが厚生を改善する理論的可能性はマンキュー米経済諮問委員会委員長が80年代に指摘したものである。
しかし,投資プロジェクトの性質によっては逆に貸し出しを抑制することが望ましい場合があることも知られており,逆選択の事態改善を目的に公的金融機関 が融資をする正当性は学界では確立されたものではない。
後者の民間では負担不可能な巨大リスクについては,政府がリスク管理を適切におこなうことが前提となる。しかし,政府の金融活動に関するリスク管理体制 は現状でまったく整備されておらず,むしろ成果のあがらないプロジェクトに融資をして最後に国民負担を招く危険が大いに心配される。低利融資と同様,リス ク負担できることとリスク負担していいことの間には大きな壁があり,現在の活動の多くはこの壁を超えられない。
以上のことから,政策金融の適切な活動範囲は非常に狭い。冒頭にのべた中小企業金融での危機対応以外では,公的金融の役割は現在ではほとんど残されてい ない。
廃止→受け皿法人は無意味
特殊法人の組織改革には廃止,民営化,独立行政法人化の選択肢がある。これまで特殊法人が廃止されても受け皿法人がつくられ組織が実質的に維持されてき たことを考えると,廃止はその言葉の響きと裏腹に実質的な意味をもたない。民営化すれば,当該分野への介入から政府は完全に撤退することができ,蓄積され た経営資源は新しい場で活用できる。したがって,政策目的を失った機関(具体的には以下の5つ)を民営化することが改革の基本線である。
産業政策にかかわる政策金融は現在ではその役割を終えており,日本政策投資銀行は民営化すべきである。現在は事業再生,プロジェクトファイナンス,ベン チャー企業への融資等に力を入れているが,これらは本来民間が主体にならなければいけない事業である。それら事業のノウハウをもっているのなら,民間機関 としてその能力を発揮する方が望ましい。
輸出入金融も民間に委ね,国際協力銀行の旧日本輸出入銀行の部分を民営化する。
地方公営企業に融資する公営企業金融公庫は,融資対象に信用リスクがないことを前提にしており,2001年度から利子補給もなくなったことから資金調達 期間を変換する機能のみを果たしている。これは民間で対応可能な業務であり,公的機関である意義はない。
住宅金融公庫は廃止が決定されているが,受け皿法人が設立され融資・証券化支援業務等をおこなう見通しだ。住宅金融は情報の非対称性があまり深刻ではな く,民間に委ねるのが望ましい。また証券化支援業務も民間が営むべきである。
受け皿となる独立行政法人が証券化支援業務を行えば,米国のように政府支援企業が民間の証券化業務を圧迫する事態が懸念される。住宅金融から政府が完全 に撤退するには,住宅金融公庫は廃止よりも,民営化の方が望ましかった。既往債権の証券化を進めつつ,将来的には民営化することで,民業圧迫の問題を防ぐ ことができる。
商工組合中央金庫はもともと民間に近い組織形態であることと補給金に依存しない財務体質から民営化が容易である。中小企業金融分野では健全な民間金融機 関が必要とされており,当面の危機対応は国民生活金融公庫と中小企業金融公庫にまかせ,まず民営化の先陣を切るのが望ましい。
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