(本稿は,「行政改革関西フォーラム」(2001年12月26日・大阪国際会議場)でのパネルディスカッション「分権型社会の実現に向けて」のパネリストとしての発言のために用意された。しかし,正確にこの通り話したわけではない。)

パネルディスカッション「分権型社会の実現に向けて」での発言

岩本 康志
 わが国の地方財政の最大の問題は,国の役割であるナショナル・ミシマムが明確にされていないことである。国の役割を,(1)財産権と生存権を保証するための基本的な機能,(2)社会資本整備は全国的視野で設計しなければいけないもの,に限定して縮小することが必要である。
 財政の原則として国の仕事は国の財源で地方の仕事は地方の財源でまかなうことを確立するために,国と地方の仕事を明確に区分し,必要な税源委譲をおこなうべきである。

国の役割とはなにか

 国と地方の財政関係における国の役割をひとことでまとめると,「ナショナル・ミニマムを保証する」ことになる。しかし,このまとめ方はナショナル・ミニマムを定義しないと意味をもたない。わが国の地方財政の最大の問題はナショナル・ミシマムが明確にされていないことにある。
 ナショナル・ミニマムの操作的な定義は基準財政需要であり,現行制度では地方の歳入(基準財政収入額)が基準財政需要額に満たない場合は,地方交付税によって国がその財源を確保することになっている。基準財政需要はこれまでGDPとほぼ平行して伸びてきたが,97年以降GDPを上回る伸び率を示してきたが,これはナショナル・ミニマムの範囲が拡大したことを明確にしておこなわれたわけではない。また基準財政需要の算定方式自体が不透明だという批判があるが,このことはナショナル・ミニマム自体が不透明であることを意味する。地方財政の改革では,ナショナル・ミニマムの範囲について広く国民的合意を得るような努力をすることが出発点となる。
 ナショナル・ミニマムに具体的に何が含まれるのかを検討しよう。まず欠かせないのは住民の財産権を保証するために政府が果たすべき基本的な機能であり,警察・消防等がこれに含まれる。つぎに,「健康で文化的な最低限度の生活を営む」生存権を保証することも欠かすことができず,社会保障がこれに含まれる。これらがもっとも狭義のナショナル・ミニマムとなろう。つぎに社会資本整備と地域間所得再分配がどこまでナショナル・ミニマムに含まれるかが争点となるだろう。
 ナショナル・ミニマムの確保は公平性の価値を追求するものであり,一般の理解では,それを保証することは効率性の追求に優先すると考えられている。したがって,かりにすべての住民に1時間以内に高速道路にアクセスできることをナショナル・ミニマムの範囲に含むとすれば,費用と便益が見合わない高速道路も建設する必要がある。もし高速道路へのアクセスをナショナル・ミニマムに含まなければ,高速道路の建設は効率性を重視しておこなうべきである。このようにナショナル・ミニマムの明確化は多くの重要な政策の判断に影響を与える。
 個別の事業に関する議論はここでつくすことはできないが,わが国の政策が暗黙に含意するナショナル・ミニマムの範囲が全体として過大になっていると考えられ,範囲を明確にして縮小する作業が必要であろう。国の役割としては,(1)財産権と生存権を保証するための基本的な機能,(2)社会資本整備は全国的視野で設計しなければいけないもの,に限定することが必要である。
 

地方の役割

 国の役割が縮小すると,地方の役割が増す。また国が箸の上げ下ろしまで指導するような関与がなくなれば,地方の責任が増す。このために地方分権に適応した新たな考え方が必要になってくる。
(1) 地方分権の理念
 まずナショナル・「ミニマム」を保証することが国の役割であり,地方がそれに上乗せ・横だしなどの工夫をすることは自由であるという原則が必要である。例えば,義務教育の学級定員の国の基準が40人であるときに,自治体が自らの判断で25人学級を目指すことを禁止するべきではない。ただし注意が必要なのは,自治体間の上乗せ競争の結果,最後はナショナル・ミニマムがより高い水準に引き上げられる可能性である。このような例に,73年に国が老人医療費無料化制度を導入した背景に,それ以前に自治体の独自の施策としての医療費無料化制度が広がっていったことがある。地方の工夫が正しく実を結ぶためには,ナショナル・ミニマムの定義を明確にしておくことと,基礎サービスの水準について自治体間の違いが出てくることが当然であるということを国民が理解していることが前提となる。
(2) 産業振興策
 地方に求められる役割として地域の産業発展がよくあげられる。しかし,地域振興策が失敗に帰する事例も多いことを考えると,何をしてはいけないかを考えることの方が重要である。社会資本を整備して企業を誘導するという考えは高度成長期には通用したが,現在はここから脱却しなければいけない。企業立地をめぐる競争はいまや国境をまたいでおこなわれ,成熟経済では新規立地の量も多く見込めない。その地方でなければ得られない本当の魅力がなければ地域は発展しない。社会資本整備の基本原則は,社会資本を整備して地域発展ではなく,地域が発展するから必要な社会資本を整備することに転換すべきである。この発想の転換ができない地域は,きびしい地域間競争のなかで火傷を負うことになる。
(3) 地方制度改革
 役割の重くなる地方自治体の体制改革も当然必要となる。自治体の構成原則は政府・民間活動のスピルオーバーが生じない範囲(自足的経済圏)で行政主体を構成することであり,その意味で市町村合併によって基礎自治体を大括りする改革は必要である。現在検討注の小規模自治体を優遇する交付税の段階補正をなくすことは妥当であるし,市町村の最低人口を引き上げることも必要であろう。
 ただし,広域行政制・連邦制のもとでも,その域内での所得格差にどう対応するかという問題に迫られることを指摘しておきたい。例えば,かりに関西州が発足するとなると,域内総生産はカナダを上回る規模となる。したがって,関西州内の所得格差への対応については,これまで国でやってきた問題を地方に移し変えるだけで,問題が根本的に解決されることにはならないのではないか。
 

財政システムの転換

 第一次地方分権改革によって,機関委任事務が廃止されて国の事務と地方の事務が明確に区別されるとともに,国と地方は対等な関係と位置づけられことは大きな成果であった。しかし,地方の自立は財源の問題を抜きにして語ることはできず,この面でまだ課題がのこされている。
 現在の国と地方の財政関係は,財政制度のなかでももっとも複雑な問題を抱えているといえる。改革は最重要な課題であるが,問題の複雑さからいって解決への道筋を得ることは非常に困難な作業となるだろう。
 複雑にからんだ問題をほどくには,まず基本原則をはっきりとさせることが重要である。それは,意思決定をおこなう住民にとって受益と負担が一致するようなシステムとすることである。地方歳出が中央政府からの補助金でまかなわれると,真の負担を軽視した形で歳出の意思決定がおこなわれる。財政の原則として国の仕事は国の財源で地方の仕事は地方の財源でまかなうことを確立するために,国と地方の仕事を明確に区分し,必要な税源移譲をおこなうことが望まれる。
 国の仕事と地方の仕事を明確に分ける作業がまだ十分でないのが公共事業である。現状の補助事業での典型的な費用負担は国と地方が折半することになっているが,双方が真の費用を過小評価するため,インセンティブ上の問題が大きい。補助事業は縮小あるいは廃止し,事業の責任主体を明確化することが必要だ。
 税について国の関与を最小限にとどめるとすれば,地方税目を法律で既定する現状をあらため,交付税以外の財源は地方がまったく独立に決定できる形にまで地方税を自由化すべきである。


(C) 2002 Yasushi Iwamoto