(本稿は,『日本経済新聞』2000年7月31日朝刊,「経済教室」に掲載された。)

財政・金融,主従関係を断て

斉藤 誠 ・ 岩本 康志
@ 日本は従来の財政が主,金融が従,という景気安定に向けたマクロ経済政策の組み合わせ(ポリシーミックス)を早急に改めるべきだ。財政は資源配分という本来の機能に解くかし,景気安定の役割は現在の米国のように,金融政策にゆだねるのが筋である。
A それには日銀の独立性を確保する一方,財政については与党主導の財政首脳会議などを通じた歳出圧力を断つ工夫が不可欠。経済財政諮問会議の設置など省庁再編の成否もそれ次第だ。

政策ミックス米欧では遺物

 国際協調によるドル高是正を決めた1985年のプラザ合意以降のマクロ経済政策は,多くの教訓を残した。財政政策は,財政再建路線に沿った緊縮財政と景気対策を意図した拡張財政の間で大きく揺れ動いた。97年に9兆円増税で需要を減退させ,翌年度には補正予算を連発するちくはぐな動きを見せた。
 一方,金融政策は多くの要因に左右されながら,転換が常に遅れ気味だった。80年代後半には引き締めへの転換が遅れ,資産価格バブルがいっそう進行し,逆に90年代初頭にはバブル退治をあせるあまり,極端な引き締めに走った。
 なぜマクロ経済政策がこうも大きく振れ「何でもあり」の景気対策と揶揄(やゆ)されるまでになったのだろうか。本稿では財政政策と金融政策の最適な組み合わせによって景気と雇用の安定化を図るという伝統的なポリシーミックスの考え方に混乱の根本的な原因があることを指摘したい。
 より適切な政策運営のためには財政と金融の役割分担を見直す必要がある。98年の日銀法改正に続いて来年初めには中央省庁が再編され経済財政諮問会議も発足するなど,日本のマクロ経済政策の枠組みを変える改革が進んでいる今こそ,その好機である。
 日本でとられたポリシーミックスの典型は,拡張的財政政策で資金需給が逼迫(ひっぱく)し,金利が上昇すること(クラウディングアウト効果)を相殺するための金融緩和と,緊縮的な財政政策による需要減退を補うための金融緩和という2つのケースがある。
 いずれの場合も「財政が出動したから」とか「財政が出動しないから」という形で金融政策の役割が規定されている点で,財政が主,金融が従といえる。
 こうしたポリシーミックスの功罪を考えるために,米国の経済政策の歴史を振り返ると興味深い。戦後発展のために46年に施行された雇用法では,ポリシーミックスの考え方が鮮明である。同法で設立された大統領経済諮問委員会(CEA)は,この考え方に基づいた経済政策を助言することが期待されていた。
 しかし,CEAの活動はやがてミクロ的な政策問題に重点を移し,マクロ政策についても70年代後半にはポリシーミックスの考え方から離れていく。
 CEA設置50周年を契機に,委員長を経験したフェルドスタイン氏,シュルツ氏,シュタイン氏,スティグリッツ氏といった著名な経済学者が,CEAの役割を論じている。彼らの発言に共通しているのは,景気対策を意図した財政政策は経済をむしろ不安定化させるため,安定化政策は主に連邦準備理事会(FRB=米国の中央銀行)が担ってきた,との認識である。
 実際の政策運営ではポリシーミックスを掲げた雇用法の表看板から離れ,金融政策が景気制御を担ってきたわけである。
 現在では米国で経済安定化政策といえば,FRBの金利政策を通じたかじ取りであることに異論ない。

主従が続けば2つの弊害拡大

 財政よりも金融が主となるべき理由は3つある。第1に,財政が果たすべき重要な役割として,経済安定化の前に資源配分の機能が存在するので,金融が経済安定化にまず責任を負うのが,政策手段の割り当てとして理にかなっている。
 第2に,予算編成や税制改正は国会での審議を経る必要があり,財政は政策実行までのラグ(遅れ)が長いのに比べ,中央銀行の方がより機動的に景気に対処できる。第3に,財政出動では現在ないし将来の税負担という形で大きな費用が発生する。
 以上の理由は米国だけに当てはまるものではなく,他の先進国でも財政政策の役割が後退する現象が見られる。ポリシーミックスを保持する日本の状況がむしろ特殊である。外国から見れば,自国の懐を痛めず国際的波及効果が期待できる日本の財政出動はありがたい。自国でとらない財政刺激策を日本に要求してくる方にも問題があるが,それを真に受ける日本の方にも深刻な問題がある。
 財政を主,金融を従とする日本のあり方には2つの弊害を指摘できる。1つは安定化政策の要請が財政規律の確保と対立してしまうことである。財政赤字の構造問題化は先進国に共通していたが,財政の経済安定化機能への要請が日本より弱かった諸外国では,財政改革で規律を強化し財政赤字の問題を克服できた。
 財政規律は量的制限だけではなく,政府の意思決定を規律づけることで,支出の質向上も含む。非効率な公共事業など問題の多い日本の財政にとっては,急ぐべき課題である。しかし「政府は常に合理的な意思決定を行う」というケインズ経済学の根本思想が日本で深く定着していることが,「規律を失った政府は非合理的な判断をする」という財政改革の基本哲学への抵抗を強めている。
 2つめは,金融政策の目標として景気の制御が軽視され,物価の安定化で事たれりという認識に中央銀行が甘んじやすい点である。このために金融緩和が行き過ぎていても,足元の物価が安定化している限り,引き締めに転じることができないという政策転換の遅れが生じてしまう。
 国際標準からずれた日本型のマクロ経済政策の枠組みを今後も続けていくべき理由は見当たらない。財政政策と金融政策の役割分担を変革し,基本的には財政政策は財政規律を維持しながら資源配分機能を担い,金融政策は財政政策に左右されない形で経済安定化機能の主役を担うべきである。

財政首脳会議と距離を置いて

 裁量政策の限界に対する認識を深めておくことも必要である。経済の不安定な動きを政府が裁量的に相殺していく微調整(ファインチューニング)の考え方は,現在ではその支持を失っている。
 裁量政策は,的確な意思決定と明確な手段があってはじめて効果を発揮するものである。しかし,政策が実行されるまでのラグと効果が発現するまでのラグが存在し,政策効果の大きさも不確定である。また,政府の意思決定過程においては,当面の景気浮揚効果のみに目が行き,将来の財政負担や過度の金融緩和の弊害を軽視する恐れがある。
 こうした問題があると裁量政策は,その効果が減殺されるばかりではなく,不安定要因として作用する危険性すらある。
 裁量の弊害を防ぐには,政策過程に様々な工夫を要する。まず仮に,最近発足した財政首脳会議が圧力をかければ,合理的な判断が狂いかねないだけに,中立的な機関ないし個人を意思決定過程に関与させることが求められよう。
 米CEAに倣って設置される経済財政諮問会議でも過去の遺物となった裁量的政策の発想を断固排除していくべきである。景気の制御,財政の運営には高度な経済理論と洗練された政策技術が要求されるため,専門家の討議の集積として決断されるべきである。
 また,議論の過程を公開し透明化することも必要である。政策をルール化して政策自体が不安定要因となるのも避けねばならない。
 金融政策は,政策の発動から効果発揮までラグがあるため,経済を安定化するには,早めの発動が求められる予防的な側面をもつ。たとえば景気過熱が予想されると,早めに金融引き締めに転換する必要がある。
 予防的政策は景気過熱が判明してから発動するよりも,政治的圧力を受けやすいので,中央銀行の独立性がさらに重要になる。日銀法改正で強化された政策委員会による政策運営が始まっており,政策手続きとしては望ましい方向にある。最終的な課題は政策プランを市場に信認される形で提示することだろう。
 財政と金融の新たな役割を前提にすると,日銀が財政政策の策定過程に関与するべきではない。むしろ日銀法にある「物価の安定」の中身を明示する方が急務だろう。景気の各局面でどの程度のインフレを許容するのか,予防するのかを国民に説明する責任がある。
 財政運営は,来年初めに中央省庁が再編されても,前述のように政治的圧力で従来の裁量政策の考え方とポリシーミックスに基づいたマクロ経済偏重の視点で政策運営がされてしまうことは避けねばならない。
 財政の主たる役割は資源配分機能にあることを認識し,政治による圧力からの独立性を維持し,冷静な専門的議論を集積した意思決定がなされるべきである。

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