(本稿は,『日本経済新聞』1998年5月1日朝刊,「経済教室」に掲載された。)

財政,費用効率重視型に

岩本 康志
 
@ 財政構造改革法(財革法)は政府の意思決定が非合理的になりがちなことを背景に,法律によって政府の行動を縛るのが目的である。それには,法律は硬直的な方が望ましく,あとで改正要求が起こらないような配慮が制定時点で必要だった。 

A 景気循環は資源配分機能の失敗として理解する考え方が学界で強まっている。景気浮揚目的だけの財政出動は正当化できず,景気対策のため財革法を改正する根拠は乏しい。 

B 政府がまず経済対策の総額ありきの議論から脱し,費用効率重視の財政運営に切り替えることが財政構造改革には必要である。 

望ましくない目標年次の延長

 財政を健全化する最善の方法は,賢明な政府が合理的な財政運営を行うことである。しかし歴史上だれ一人賢明な政府をつくる完全な方法を発見していないため,さまざまな次善の策が試みられてきた。

 法的強制力によって財政赤字の縮減を目指す手法は近年各国で試みられ,注目を集めた。その効力についての研究も蓄積されており,日本の財政構造改革法の今後を占うのにも役立つ。

 まず重要なことは,財革法は合理的な財政運営をするための中期計画ではない点だ。政府が賢明ならば状況に応じて最適な政策を何の制約もなく実行すればよく,こんな法律など必要ない。負債を累積する政府の愚行が改まらないから,法律によって政府の行動を縛るのが目的である。

 日本の現状を見ると,この意識が希薄なことが大いに危惧される。法律の条文にそのような記載はなく,与党,大蔵省の当事者にも反省の色がない。そのため,この政府は景気が悪くなる度に,突如「賢明」になり景気対策を打つ。

 政府の愚行を妨ぐには,法律は硬直的なほど望ましい。したがって,より良い法律にするために財革法を改正するという考え方自体がこの法律が真に果たすべき機能を事実上葬り去ることになる。改正するくらいならいっそ廃止した方が,失敗がはっきりする分だけましだ。

 その意味で最初が肝心であり,考え得る可能性に対処できるようなきめ細かい配慮を制定時点でして,後に改正の要求ができるだけ起こらないようにしておくべきであった。「弾力条項」は最初から規定しておくのと,あとから追加するのでは大違いである。

 もっとも,税収の落ち込んだ不況期に財政収支を改善した例は過去にも外国にもまずない。実現不可能な目標を掲げることは法律としての実効性がないから,健全化目標の何らかの変更は避けられない。しかし状況は深刻である。改正すれば法的拘束力への信認は失われ,改正しなければ実現不可能な目標が残る。

 綱渡りの選択としては,財革法は変更せず,同法の規定する健全化目標を経済計画の見通しの実質3%成長での目標とする解釈を与え,それを下回った場合の税収不足に相当する国債発行は許容する規定を別法で定める方法が考えられる。今回の政府の総合経済対策でとられたような目標年次の延長は常態化する可能性が大きく,決して望ましいとは言えない。

 しかし,財革法を堅持すれば景気を犠牲にすることに本当になるのだろうか。筆者はそのように考えないが,その説明のため,安定化政策における財政の役割という基本問題から考えることにしたい。

 財政の果たすべき役割を資源配分,所得再分配,経済安定化の3機能に整理する考え方は広く使われている。しかし,現代のマクロ経済学と公共経済学では,財政の経済安定化機能を独立の役割とすることが疑問視されている。この四半世紀のマクロ経済学とミクロ経済学の変質により,資源配分の問題と独立して景気循環を考えることが意味をなさなくなってきた。
 

資源配分の視点景気循環に必要

 かつてマクロ経済学の枢要な部分は,オークン法則やフィリップス曲線のような経験法則に立脚していた。しかし,フィリップス曲線の安定性が疑問視されるようになって以来,経済主体の合理的行動に立脚して,環境や政策の変化によっても変わらない原理で景気変動を説明しなければならないことが共通認識となった。

 一方,ミクロ経済学では,情報の非対称情報や不完備な契約によって市場が資源配分の機能を十分に果たせないときの研究に精力的に取り組むようになった。

 マクロ経済学でも完備された市場の効率的資源配分の結果として景気循環を理解する試みはあまり成功せず,不完全競争,収穫逓増,外部性,情報の非対称性などによる市場の失敗の結果として経済活動の低迷や非自発的失業が引き起こされるとする考え方に到達,資源配分の問題と独立して経済の安定化の問題を考えることが意味をなくさなくなってきた。

 米国で約50年前に設立された経済諮問委員会の主目的は財政による経済の安定化政策にあった。しかし,財政政策の比重は徐々に後退し,現在では安定政策の中心的役割は金融政策に移り,委員会の活動はミクロの問題が中心となっている。

 研究の先端で起こっていることと非専門家を含む一般的な認識のギャップが今ちょうど最大になっていると言えよう。この事実は,学部レベルと大学院レベルのマクロ経済学の教科書でまったく別のモデルが用いられていることに象徴的に表れている。

 学部レベルの教科書で使われるモデルでは,経済安定化がそれ自体の意義をもつ。この世界では,財政支出は景気を拡大させ,政策の効果はどれだけ所得を上昇させたかで評価される。もちろん景気循環の重要な面を簡潔に表現しているからこそ,このモデルは長年にわたって使用されてきたのだが,そこから導かれる結論がいびつなものになる可能性について実は十分注意が必要なのである。

 その好例が,公共事業の質の問題だ。無駄な公共事業に対する批判が高まっているが,学部レベルのモデルでは,有益な事業も無駄な事業も同じ有効需要であり,景気拡大効果に違いはない。理論を盲信することなく現実の課題を見据えることは大事であるが,悪くいえばモデルをだましだまし使っている。
 

無駄な活動ゼロ査定に

 景気循環が資源配分の問題ならば,景気対策も政府が直接資源を使用することの便益と費用の考量で政策の可否が判断されなければならない。景気浮揚の名目からその場の思いつきのような事業が通ってしまうような,景気対策と当初予算の二重基準は正当化できない。

 経済安定化機能の看板をおろしたとしても,政策がまったく景気無視になるわけではない。税制の自動安定化機能は残るし,財政支出の資材は市況を反映する。不況期は資材の費用が低下し,財政支出の好機である。政府が費用削減の努力を真剣にすれば,不況期に支出を増やし,好況期に支出を抑えることが自然にできるようになる。まず経済対策の総額ありきの議論から費用重視の効率運営に方向転換する……。これだけでも財政運営はよほどましになる。

歳出上限規制がシーリング方式と同じく数量先行の議論となったように,支出の質を問う作業が不足している。

 財政構造改革会議の陰にかくれた形になったが,本来もっと注目すべき質的な議論は,昨年に活動を終えた行政改革委員会官民役割分担小委員会で行なわれた。この小委は行政が関与すべき範囲をどのように規定するかを理論的なレベルから討論した。 

 96年12月に発表された提言の中では,地域間の所得格差を是正するための所得再分配を目的とした施策や産業保護的な施策から原則として撤退することをうたっており,相当に大胆な提言となっている。この判断基準が貫徹すれば,現在の施策に根本的な影響を与えることが予想される。しかし,内閣への勧告権という強い権限をもった行革委は昨年末に解散し,その実地適用は不十分なまま終わってしまった。

 提言に盛り込まれた判断基準に基づいて,必要のない政府活動についてはデロ査定を行うような資的議論を深めることが,数量先行の歳出上限規制よりも優先されるべきであり,この判断基準の適用を強力に推進する機関を設置することが急務なのである。


一般向け記事へ戻る

岩本康志のホームページへ戻る

(C) 1998 Yasushi Iwamoto