(本稿は,『日本経済新聞』1999年1月25日朝刊,「経済教室」に掲載された原稿を修正したものである。)

 日本の潜在成長力 2010年まで年2%弱に

岩本 康志
@ 潜在成長力は労働力,資本,技術進歩に左右される。来世紀日本は労働力が減る試練の時代を迎える。1人当たり国内総生産(GDP)成長率は2015年に人口構成の変化で年率1ポイント押し下げられる。 

A 高齢者・女性の就業促進は不可欠だが,それにも限界がある。全体として潜在成長率は2010年まで年2%弱にとどまろう。 

B 各世代の自立した生活とそのための貯蓄が重要になる。年金など世代間扶養の制度を早急に改めないと人口変化の影響は吸収できない。

労働力減少で試練の時代へ

 昨年6月以来,労働力人口が前年比で減り続けている。景気悪化により女子失業者が非労働力化するという循環的要因であるが,21世紀に入るとすぐに,少子化の進展という構造的要因により,減少が持続的になるのは確実だ。労働省の推計によると,2005年を境に労働力人口は減少に転じ,2020年には今の水準から400万人近く減り,6400万人となる。減少率は年0.5%まで高まる。

 筆者の見方では,それでもこの値は労働力率(総人口に占める労働力人口の割合)がかなり上昇することを前提にしないと達成できない。他の研究機関による推計では,労働省より悲観的なものが多い。

 仮に年齢階層別の労働力率に変化がないとして機械的に推計すると,団塊の世代が退職し始める2005年あたりから労働力人口の減少は加速し,2030年以降は減少率が年1%程度まで拡大する。2020年までの減少数は600万人を超える見通しである。

 過去20年間,日本の労働力人口は年1%程度で増えてきた。したがって,労働生産性の上昇率が同じなら,労働力人口の動向は2030年まではGDP成長率に対して毎年1.5%ポイントの押し下げ,それ以降は2%ポイントの抑制要因となる。

 GDPへの影響は大きいが,労働力が減れば生産水準が下がるのは仕方がない。生活水準への影響を見るならば,むしろ労働生産性か1人当たりGDPに注目すべきであろう。総人口も同時に減少すれば生産水準の低下は相殺される。しかし,総人口の減少は労働力人口に10年以上遅れる。したがって,総人口が余り減らない2015年まで,1人当たりGDPへの影響は大きく,その年間伸び率は,人口構成の変化により1ポイント押し下げられる。その後は総人口の減少数も大きくなるので,押し下げ圧力は少し弱まる。

少子化対策は即効性なし

 労働力人口減少のマイナスの影響を緩和する対応策は,労働,資本,生産性の水準を高めることである。第1は労働の拡大策だが,少子化対策として議論されている出産奨励政策には,来世紀前半の労働力人口の減少を防ぐ効果はない。今後生まれる世代がすぐに労働力になるわけがなく,出生率が上昇に転じても,その効果が出るまでに20年以上要するからである。

 人口減少社会は,70年代後半からの出生率の低下を一時的現象と読み誤り,放置してきたことで,不可避となった。したがって当面は,労働力率の低い階層である高齢者と女性に対する就業阻害要因を取り除いて,労働市場に呼び入れることが対応策になる。

 高齢者に対しては,厚生年金の在職老齢年金制度が,実質的に賃金への高率の課税となっている。これを就業の意思決定に中立的な制度に改革することにより,60歳代前半の高齢者の就業促進が期待できる。また女性については,保育所整備や介護サービスの供給体制の充実など,家庭に縛りつけられることを防ぐ施策が必要であろう。

 筆者の推計では,こうした政策は100万人前後の労働力人口を創造する効果をもつ。現在ある就業阻害要因を取り除く政策は早急に取り組むべき意義のあるものだが,それでも既存人口で労働力人口の減少をすべて埋め合わせるというシナリオを描くことは不可能だ。

 労働力減少が不可避だとすると,構造改革を推進して労働生産性を改善して対処するという考えが出てくるが,それが根本的な対策であるかは疑問である。構造改革により生活水準を改善する余地があるなら,労働力人口の動向にかかわらずそうすべきだからである。

 労働力減少が技術進歩に与える影響については,理論的には,相対的に希少となる労働を節約する技術の開発が促されるというプラス効果と,市場拡大による規模の効果が発揮できないというマイナス効果の両方が考えられ,経験的に判断すべき問題である。

 カットラー米ハーバード大学教授らの研究によれば,60年以降の先進国について,労働力増加率の低下の約6割は労働生産性成長率の上昇で相殺されたという。この研究の対象国では労働力増加率が年1%のときの労働生産性上昇率は年2.2%だった。ただそれは60年代の高成長期を含む。日本の過去20年間の経験では労働生産性上昇率は2.4%となるが,同期間の先進国平均は1.7%,90年代に限定すると1.2%にとどまる。

 今後も日本だけが抜群の生産性上昇を期待できる根拠を示さない限り,2%以下の労働生産性上昇率を基準にするのが妥当だ。仮に先進国平均1.7%の労働生産性上昇率を基準にとると,労働力増加率が現在に比べ1.5ポイント低下する2010年のGDP成長率は2.1%となる。だが90年代の生産性低下を考慮すると,筆者は2010年までの潜在成長率は年2%弱になり,その後さらに下がると見込む。3%を超えていた80年代ごろまでに比べ大幅な低下である。

高齢化社会に備え貯蓄必要

 次に資本の増加策であるが,高齢化社会に備え貯蓄するという考え方は余り人気がないようだ。最近の景気対策では財政赤字で貯蓄を大幅に吸収している。国内の投資先がないために海外へ向かった貯蓄は経常収支黒字となって世界の批判を浴びる。公的年金の積立方式化も資産運用先はどこにあるのかと批判される。

 しかし,子供に頼らず自分の蓄えで老後を暮らそうという意識は国民に浸透してきており,そのための貯蓄が十分になれば人口構成の変化による問題のかなりが解決する。労働力が減っても,高齢者に必要な資源は彼らが自身の貯蓄から供給されるからである。

 各世代が他の世代に頼らず自立した生活をすれば,経済は人口構造の影響を吸収する調整能力をもつ,との認識からまず出発すべきだ。少子・高齢化の問題はこの調整機能が十分に発揮できないことから生じる。

 確かに,高齢化に備えた貯蓄を吸収できるほどの柔軟な資本市場を国内外に確保することは困難かもしれない。また金融業が規制で保護されてきた日本では,効率的に資産を運用する能力も十分に備わっていない。だが,それは貯蓄しなくてよい理由にはならず,投資先を開拓し,資産運用の技術を高めることで対応すべき問題である。

 より深刻な問題は,政策的な世代間扶養の仕組みの存在である。とくに賦課方式で運営される年金の内部収益率が少子化により低下することは大きな衝撃である。これまでに十分な積立てをしておけば,今後の高齢者の増加にも積立金の取り崩しで対応できた。やや遅すぎたが,今からでも積立金を増やす方向に制度改革をする方がよい。

 労働力人口からると来世紀初めの20年間は,日本経済にとって試練の時代となろう。少子化の進行を見過ごし,公的年金の積立てを怠った過去20年間の思慮不足がこうした事態を招いたのであり,労働力減少は不可避である。

 GDPの潜在成長力の下方シフトが起こるので,的確な景気判断と対応対応が必要になる。また政府は現在の不況脱出のために体力を使い果たすのではなく,中期的な視野から,余力をもたせた財政運営をすることが求められる。

 人口構成の変化を乗り切るカギは,各世代の生活自立への意思にあり,その意識は国民の間で着実に高まっている。そうした個人の対応力が十分に発揮されるよう,老後のための貯蓄がさらに効率運用できる体制を整えるべきであろう。


(C) 1999 Yasushi Iwamoto