社会科学における研究大学院と専門大学院

岩本 康志

 「大学院重点化」の失敗

 拙稿「大学院での経済学の学び方」 は,研究者を目指す大学院生を念頭に置いています。標準的な経済学の大学院には研究者養成のための博士課程のみしか置かれず,修士号は,成績が振るわず大 学院を継続することのできなかった者の残念賞という位置づけです。
 しかし,数年前より日本の国立大学院経済学研究科では,「大学院重点化」の名のもとに,社会人教育を目的として大量の 大学院生を受け入れるようになりました。結果として,大学院生の目的意識の多様化や学力の低下にカリキュラムが対応できない,学生数の増加により教官の負 担が増えた,という負の影響が見られるようになっています。この変化は,これまで大学院が果たしていた研究者養成の機能に対しても,阻害要因として働くよ うになってきています。
 私は,このような問題は,日本の大学院で,研究大学院(Graduate School)と専門大学院(Professional School)が概念的にも制度的にもこれまで区別されてこなかった,という構造的な欠陥に起因していると考えています。この問題を,とくに社会科学に焦 点をしぼって検討します。
 大学院とは,大学レベルで研究と教育を一致させることが困難になってきた状況に対応するために,大学の上に位置して, 研究をおこなう機関として米国で発達してきた制度です。研究に重点が置かれ,次代の研究者を養成するという意味で研究大学院と呼びます。人文・自然科学ま で含んだ組織となる場合には文理学研究科(Graduate School of Arts and Sciences),社会科学だけの組織では,社会科学研究科(Graduate School of Social Sciences)と呼ばれます。一方,専門大学院は,専門的な職業の訓練をおこなうことを目的としており,法科大学院(Law School),医科大学院(Medical School)が古くから存在しており,経営大学院(Business School)も現在では確立された地位を占めています。
 日本の大学院は「研究科」の名称をつけるため,これらの専門大学院に相当する組織を法学研究科,医学研究科と呼ぶとこ ろから混乱が生じています。機能のちがうものを同じ器にはめこむことは,誰の利益にもなりません。やっと最近になって,研究大学院と区別された専門大学院 の設置が,大学改革の議論にあがってきたところです(「教育改革国民会議中間報告」2000年9月22日)。
 

 政策大学院との役割分担

 社会科学の分野でも,両者の機能を明確にするように大学院の整理をおこなうことが必要です。現在,司法改革の議論で法 科大学院構想が議論されていますが,法学研究科は専門大学院と位置づけるべきでしょう。また,経営学研究科も,MBAの養成を主軸とする専門大学院と位置 づけるべきです。これらの大学院では博士課程での研究者養成もおこないますが,その役割は副次的です。
 経済学に関係の深い専門大学院は,政策大学院(Policy School)です。研究大学院での経済学と政策大学院を区別しないと,つぎのような問題が生じます。
(1) 日本の有力国立大学の経済学研究科では社会人教育のための大学院生を受け入れましたが,必要なカリキュラムを準 備しなかったために,研究者を目指す学生と授業で同席することになり,教員は両者を満足させる授業をおこなうことが困難となり,教員・学生の双方に不満が ある状況になります。
(2) 経済学研究と経済政策分析の評価基準が混在してしまい,お互いに不幸な状態になります。経済学部で実務経験者を 教員として採用する例も最近多くなってきましたが,これは組織内での業績基準の一貫性を失わせる働きをします。また,一般の人が,マスコミへの登場頻度だ けを見て,経済学者の価値を判断するような事態になります。経済学研究と政策分析とに,別の評価軸を設けることが必要です。
 

 政策大学院の組織構成

 以上の問題は,政策大学院を専門大学院として位置づけて,研究大学院と区別することによって,解決します。
 法科大学院や経営大学院が独立した組織として教育をおこなうのに対して,政策大学院は社会科学研究の成果と密接な連携 関係が必要ですので,研究大学院に所属する教員が政策大学院を兼担するよう,組織構成することが必要です。専任教官だけで政策大学院を組織すると,社会科 学研究との連携のない浅薄な政策分析に陥るおそれがあります。政策研究大学院大学のような,政策大学院だけしかない大学などは作ってはいけません。研究大 学院に本籍を置く社会科学者と政策大学院に本籍を置く実務経験者が教員を構成します。社会科学者が政策大学院に籍を置くこともありますが,実務経験者が研 究大学院に籍を置くことはあまり考えられません。
 バランスのとれた経済学者は,経済学の基礎研究の推進と同時に,現実の政策問題にも関与することが求められます。研究 大学院と専門大学院の両者に関与することにより,研究大学院で基礎研究をおこない,専門大学院で政策問題に携わることにより,評価基準の異なる社会科学研 究と政策分析を両立させることが可能になります。

Last Updated: 11/30/00, Yasushi Iwamoto