「今後の経済政策の在り方に関する研究会」でのポジションペーパー

岩本 康志

 政府の改革

 これからの経済政策のあり方を考えるにあたって,最初に指摘しておきたいことは,現状の最大の問題は,政府そのものである。不透明な密室行政,競争制限的な護送船団行政,行政指導による介入といった,これまでの行政のあり方が,日本経済システムの制度疲労のひとつとなっていることはあらためて指摘するまでもない。しかし,行政改革,規制緩和の必要性が叫ばれながら,その実効がなかなかあがらないことも事実である。

 改革の実効をあげるためには,なぜシステムが制度疲労しているのか,なぜ改革が遅々として進まないのか,の2つの問題をもう一度考え直す必要がある。そのために有益なのは,岡崎哲二・奥野正寛編『現代日本経済システムの源流』(日本経済新聞社,1993)によって示された日本経済システムの「戦時期源流論」である。彼らの考えは,現代の日本経済システムを構成するパーツの多くが戦時期に作られたものであり,戦後から現在にいたるまで継続しているとするものであり,野口悠紀雄教授の『1940年体制』(東洋経済新報社,1995年)論とも共通する。日本経済システムが戦争により断絶したのか,それとも連続しているのかは論争のある微妙な問題だが,システムのうち政府の問題に関連する部分については,この考え方はきわめて有益な示唆を与えてくれる。

 システムの性格は,システムに与えられた目的とそれを達成するための手段の2つで特徴づけすることができる。戦時期に構築されたシステムの目的は「戦争」の遂行であり,そのための手段は「官僚主導・企業協力」による協力体制であった。戦争はシステムの目的としては永続可能ではなく,現在ではその意義を失い,「消費者の生活水準の向上」にとってかわるべきである。しかし,「戦時期源流論」の理論的背景をなす「比較制度分析」のひとつの興味深い理論的命題が教えるところでは,個別の制度が補完しあって自己安定的なシステムが形成されている場合には,社会全体で一斉に協力して新たな制度を同時に採用することが必要であり,部分的な改革は無為におわる可能性がある。

 システムを新しい目的に合致するよう機能させるために,何をしなければならないことかはもうわかっている。目的達成のための手段として,市場メカニズムを尊重することである。制度の補完性が強固な場合に,どうやってそれを打破し,新しい手段を機能させるのか,の方が大きな問題である。単に行政改革,規制緩和項目を列挙し,声高に叫ぶだけでは,事態の進展には役立たない。市場メカニズムの尊重は,手段であって目的ではない。

 このことから,現在の経済システム,そのなかでとくに公共部門の大きな問題は,@旧来型手段が新しい目的達成に適合しないこと,A制度の補完性のため旧手段が頑健に存続すること,の2つにまとめることができる。この問題は,新しく主権者となった消費者の立場から見れば,本来消費者に尽くすべき政府が生産者とともに別の利益を追求しているという,エージェンシー問題として見える。政府改革の問題は,こうしたシステムの根本的な問題に由来するものであり,その解決策も根本的なものである必要がある。

 経済政策のあり方は,主権者である消費者とその権利行使を代行する政府との契約と考えることができる。取引費用の問題から,契約書にはすべての政策ルールが記述されているわけではなく,政府には裁量権が与えられている。しかし,この裁量権は,消費者によって監視され,消費者の利益に反する政策がおこなわれないような仕組みが担保されなければならない。政府が情報を開示し,その裁量に関する説明をおこなう責任を課すことは,このような意味で必要なのである。

 財政政策の役割

 経済安定化政策におけるわが国の特徴は,景気対策として公共事業が重視されていることである。

 景気対策としての公共事業では,支出の効率性は二義的な問題とされる。極端にいえば,穴を掘って埋めかえすような非効率な事業も乗数効果により景気を刺激すると考えられている。見過ごされていることは,景気対策としての支出増加政策の本質は,就業者から失業者への所得移転だという事実である。公共事業をおこなうこと自体は,失業者がこの所得を受け取るための口実である。なぜなら,失業者にとっては,穴を掘って埋めかえすよりは,何もしないで給料をもらった方がありがたいし,経済全体で見れば,実際に価値のある生産はどちらでも同じである。

 不幸なことに,わが国では乗数効果の理論が公共事業の私的利益追求のための口実に転化してしまっている。多部門経済で考えると,公共事業による景気対策では,建設業が潤って,その波及効果でその他の部門が潤うという構造になっている。建設業での労働の超過供給が見られる場合にはこれで良いが,それ以外の労働市場で超過供給が存在する場合,それらの市場での雇用創出効果は二次的な波及効果しか期待できない。景気対策としてより望ましいのは,超過供給とマッチした新規雇用を創出する施策である。

 支出増加政策の代替策として,減税がある。公共事業と減税の大きな違いは,公共事業をおこなう場合には,政府が直接的に資源を使用してしまうことにある。そのことの費用と便益は,資源配分の立場から評価される必要がある。

 ただし,社会資本の便益を計測することはとくに困難であり,我田引水的計算が横行しやすいから,費用便益分析の実施により,効率的な資源配分がただちに実現されることを期待するのは楽観的すぎよう。むしろ,情報公開がなされ,政府が事業の意義をきちんと説明する手続きが確立することが,非効率な投資への歯止めとして重要である。

 支出増加と比較する場合,減税では,非効率的な資源配分を避けることと,便益が特定の部門に集中することを避けることが可能である。景気対策は,減税を基本とするべきである。そして,政策が持続可能であるために,好景気時に,現在価値にして同額の(自然増収を含む)増税がおこなわれることは当然である。支出増加政策は,景気後退があまりに深刻である場合の非常手段と位置づけるべきである。

 景気対策の判断は,雇用されない人的資源(失業)の存在が,明白に認識されたときとする。判断材料として,自然失業率あるいは潜在GDPを用いる場合には,点推定だけではなく,信頼区間も踏まえて景気対策の判断がなされるべきであろう。自然失業率の水準を正確に知ることは困難であることから, 景気の微調整は基本的に不可能である。幅の広い信頼区間を越えていると認識されたときに,雇用創出のための対策がおこなわれるべきである。

 なお,遊休資本の存在は,設備投資の時点で企業が当然とるべきリスクであり,政府がそのリスクを負担する必要はない。この労働と資本の非対称な扱いは,保険の存在の問題による。すなわち,人的資産に対するリスクを分散する市場は完備ではなく,個人の資産に大きな比重を占めることから,政府によるリスク低減が合理化される。

 財政政策の効果は低下したか

 92年以降,かつてない規模と頻度で景気対策を打ちながら,今回の景気回復局面は,第1次石油ショックを除いたこれまでのどの景気後退期よりも低い経済成長率にとどまっている。このことから,財政政策の有効性が失われてきているのではないかという意見が,マスコミ等で散見するようになった。しかし,今回の景気回復局面の弱さは,乗数の低下によって説明がつくものではなく,財政政策の効果自体には大きな変化はなく,民間部門の潜在成長力の違いがあった,と考えるのが,無理のない説明でる。

 世界経済モデルにおける乗数の低下幅は大きくても0.2程度であり,95年7月の経済対策の約8.5兆円の真水に対しては,1.7兆円(GDP比で0.4%程度)の効果減しか説明できず,景気対策が功を奏した過去の事例との差のすべては説明できない。財政出動のタイミングが遅れて効果が現れなかったという説明があるが,こうした考え方が成立するには,民間部門の行動が景気対策にきわめて敏感に反応することが前提であり,経験的には立証されていない。

 経済環境の変化により,民間投資あるいは輸出のクラウディングアウト効果が大きくなり,財政政策の効果が低下してきたとする意見もあまり妥当性をもたない。景気に対する政府と中央銀行の認識がほぼ一致していれば,財政出動時に,その効果を相殺するように金融政策を運営する理由はないし,実際にも日本銀行はそのような行動にでていない。

 中央銀行が名目金利を一定に維持しようとすればLM曲線は水平になるので,財政政策の効果を考えるのに,45度線モデルとIS−LMモデルの違いはなくなる。小国経済で資本移動が完全ならば,金利は世界市場で与えられるので,金融政策は為替安定を目標にできる。このとき,輸出のクラウディングアウトはなく,マンデル・フレミング・モデルと45度線モデルとで財政政策の効果は同じになる。

 したがって,わが国の財政政策については過去も現在も,金融政策が協力したため,クラウディングアウトをほぼ無視して考えることが妥当するであろう。

 財政の構造問題

 財政の構造的問題として,現状の財政赤字をどうするのかという大きな問題がある。財政赤字のもたらす問題は2つある。第1は,持続可能であるかどうか。第2の問題は,世代間の所得分配の問題である。

 最近の基礎的財政収支の状況が今後も不変であれば,財政赤字は持続不可能領域にあると考えられる。しかし,当面ハードランディングの可能性は小さい。それは,財政赤字をファイナンスする豊富な国民貯蓄が存在し,通常最初にハードランディングの引き金を引く外国の資金供給者のシェアが低いからである。こうしたハードランディングの危機が薄いことが,財政の改革を遅らせる原因となっている。

 しかし,現状の財政赤字を放置することは,第2の問題を通して将来の世代へ負担をのこすことになり,政府は財政赤字の削減に真剣に取り組むべきである。しかし,財政赤字の削減には,景気への悪影響を懸念しての抵抗が強い。ここに見られる短期の問題と長期の問題の相反が,財政の構造問題の改革にとってのゴルディアスの結び目である。これは,短期の積み重ねが長期にならないという,マクロ経済学のモデル分析における重大かつ未解決な問題に由来している。

短期と長期の問題へは,現状のような両すくみではなく,むしろ「縦割り行政」にして,経済安定化を目的とする部門と財政改革に取り組む部門を独立に機能させることで対処することが考えられる。こうして,財政赤字の削減に景気動向にかかわらず確実に取り組む仕組みを導入するべきである。景気後退期には,財政再建とは独立に,必要に応じて景気刺激策をうつことを考えればよい。景気への影響の観点からは,ブレーキとアクセルを同時に踏み込むような事態になるが,景気への影響は多面的な問題のひとつの側面にすぎず,このような政策が矛盾していると考えるのは,一面的な見方である。

 80年代の財政再建においては,新規国債発行額を政策目標としたが,この数値は会計操作により容易に変更が可能であったため,「隠れ借金」が横行する事態を引き起こした。この経験から学ぶべきことは,安易な回避策を遮断するために財政再建の目標は会計操作が困難なものとすべきであり,会計の透明性を高めることが重要である。実際の適用に適当なものとして考えられるのは,国民経済計算に準拠した財政赤字概念である。

 支出抑制政策としてのシーリングは,一定の成果をおさめたが,同時に歳出構造を硬直化させるという弊害ももたらした。省庁別にシーリングを変えてしまうところまで踏み込むべきである。

 財政の構造問題として,非効率性の温床となる危険性のある財政投融資の問題も見過ごすことはできない。市場原理で運営できるところは,市場にまかせ,政府の関与は民間部門で供給できない機能だけに限定する方向への改革が必要とされる。



(C) 1996 Yasushi Iwamoto