(本稿は,『経済セミナー』2000年6月号に掲載された。)

財政投融資をどう改革するか

岩本 康志

財投改革で何が変わるか?

 2001年4月より,財政投融資の資金の流れを大きく変える改革が実施される。これまでは郵便貯金,公的年金等に集まった資金が資金運用部に預託され,財投事業を実施する機関に流れていた。改革後は,郵貯・年金積立金は資金を自主運用することになり,財投機関は必要な資金を市場から調達することになる(図を参照)。
 現在の制度では,入口の資金が中間(資金運用部)を通して出口の財投機関に直結していたことから,入口と出口の規模はほぼ平行して成長していた。しかし,入口側の郵貯,年金,簡易保険等に集まる資金と,出口の財投機関が必要とする資金の規模が一致する必然性はどこにもない。したがって,入口と出口を単純につないで資金を流すと,どちらかの規模の決定に無理が生じる。このことが,入口側に資金が集まりすぎるために,必然性の薄い出口機関が維持されているのではないか,という批判につながった。
 入口と中間が分離されると,出口の財投機関は必要資金を能動的に調達する必要に迫られる。こうして,財投機関の事業の意義を問い直し,真に必要な事業についてのみ資金調達することを求めようというのが,今回の改革の主たるねらいである(改革をめぐる論点については岩本[1999]を参照)。
 改革をめぐる議論では財投機関の資金調達手段に強い関心がもたれ,各財投機関が政府保証なしで財投機関債を発行して,市場で評価されることによって,財投機関の規律づけをおこなうという考え方が支持を集めてきた。改革の骨子にも,「特殊法人等は,まず,その資金を原則として自己調達することを検討し,各機関は財投機関債の発行に向けた最大限の努力を行う」ことと記されている。
 財投機関債の与える影響は,財投事業の性格(公的金融と社会資本整備に大別される)にもより異なるが,本稿では,社会資本整備の問題に焦点をしぼりたい。筆者は,(1)政府が最終的には債務を保証するという「暗黙の政府保証」がされる事態を回避しがたい,(2)政府が補助金を手厚く配分し,経営の安定性を保証する等の手段で市場による監視を無力化する可能性がある,等の理由から,財投機関債による市場規律だけでは公共事業実施機関は十分には規律づけされないと考えている(財投機関債の機能をめぐるくわしい議論は岩本[1998b]を参照)。
 財投機関が肥大化して,非効率な公共事業まで手を広げてしまうのは,政府の意思決定に問題があるからである。したがって,市場規律に頼るのではなく,政府内での財投機関の監視システムをより効果的なものに整備していくことが直接的な対処法である。今回の改革にともない,財投事業にともなう財政負担を現在価値化して情報公開する「政策コスト分析」が導入されている。これは手段のひとつであり,監視システムの全体像はまだ模索の段階である。その意味で財投改革は未完であり,本稿ではこれからの改革の方向性を議論することにしたい。

費用便益分析の不在

 まず,財政投融資による社会資本整備は,どのような形態をとるときに望ましい手段となりうるのかを理論的に整理しておこう(よりくわしい説明は,岩本[1998a]を参照)。
 財政投融資による社会資本整備が一般の財政による公共事業と異なる点は,社会資本の使用料を徴収し,建設資金の償還に充てるという仕組みにある。この違いは,理論的には,純粋公共財と準公共財の区別に対応する。純粋公共財は,その受益者を特定して対価を請求することが不可能である「非排除性」という性質をもつ。これに対して,財投機関の供給する社会資本は,その便益の対価を利用者から部分的にも徴収できるという点で,「準公共財型」であると呼ばれる。
 準公共財型社会資本がもたらすサービスは,利用者から使用料として徴収できる部分と徴収不可能な部分から構成される。社会資本の適切な供給のためには,この両者の便益の合計が社会資本の建設費用を上回ることが求められる。
 かりに準公共財型社会資本を民間企業が市場で提供したと考えよう。この場合には,使用料として徴収できる収益のみで建設費を回収しなければならず,社会資本の供給は過小になる。使用料として徴収できない便益を市場にかわって政府が負担することをおこなわないと,適正な供給量が確保できなくなる。また,費用便益分析に用いる割引率として市場金利が適当でない場合には,補給金等の手段により金利を補正してやる必要がある。
 以上のことから,準公共財型社会資本への投資が適切におこなわれるためには,
(1) 費用便益分析がおこなわれる
(2) 政府は,社会資本の便益で使用料として徴収できない部分を代理支払いする
(3) 政府は,市場金利を補正して,適切な割引率を与える役割を果たす
ことが必要である。
 ところが現状では,財投対象事業に対しての組織的な費用便益分析は実施されていない。これを代替しているのが,財投機関の収支均等の原則である。すなわち,収支均等を維持しようとすれば,調達した財投資金を返済するのに必要な収益率をあげられない投資プロジェクトは採用できないので,非効率な投資を発生させない歯止めが与えられる。したがって,補助金と財投金利が適切に与えられれば,財投機関の収支均等条件により社会資本の最適な供給条件を模倣できる。
 収支均等原則と補完して,財投機関の経営を規律づける機能をもつのが,使用料を徴収する市場での規律づけと,有利子負債の返済圧力による規律づけである。高速道路,空港等の交通サービスが典型例であるが,使用料を支払って財投機関の社会資本サービスを利用するかどうかの選択は,個人や企業の自由意志にゆだねられている。使用料に見合う便益が得られないと判断されれば,利用者はそのサービスを利用せず,財投機関の経営は悪化してしまうだろう。純粋公共財の場合には,政府が便益を過大評価することによって非効率な社会資本が供給される事態が起こり得るが,財投機関の場合には,いくら政府が便益を過大評価しようとも,市場での厳しい評価が待ち受けており,非効率な投資への歯止めとなる。
 また,財投資金の大半は,負債形態の資金運用部資金と政府保証債・政府保証借入金からなる。企業金融理論が教えるように,負債形態の資金は元利の返済期日が規定されており,それを満たすための現金収入を生ませる圧力を財投機関に与え,非効率な経営への逸脱を防止する効果をもつ。

「親方日の丸」の陥穽

 市場規律と負債による規律は,財投機関に効率的な経営をさせる圧力となることが期待できる。問題は,こうした規律の歯車が噛み合わなくなったときに生じる「政府の失敗」である。経営破綻した日本国有鉄道と国有林野特別会計を例にとろう。
 国鉄の経営悪化の直接の原因は,採算のとれない赤字路線を建設・運営することを命令されたためである。経営改善のためには,非効率な路線経営の改革に着手しなければならなかったが,経常損失を計上した1964年度から最終的に民営化・清算されるまでに,じつに24年間もの間,財投からの借り入れを増やし続けた。林野特会も,1975年度に経常赤字が恒常化するまでは独立採算を維持してきたが,外国との価格競争と高度成長期の大量伐による規模拡張からの転換の遅れを原因として,赤字体質に陥った。最終的に一般会計が債務の肩代わりをするまで,23年間財投は資金を貸し続けている。いずれも財投からの借り入れで問題を先送りし,しかも政府間の貸借が厳しさをもたないことから,それが20年以上も継続し,借金の元利が雪だるま式に膨らむ結果となった。
 収支均等原則がより一層の厳しさをもち,「親方日の丸」とならないような改革が必要とされる。まず,問題先送り(純然たる赤字ファイナンスに財投が使用される)を許さない厳格なルール(例えば,2期連続で償却前赤字が発生した場合には,財投からの追加資金供給を停止する)を事前に定めておく必要がある。また,財投機関への補助金は,経営が悪化した場合の単なる延命手段として使用される危険がある。補助金交付は事前にルール化をおこない,事後的に裁量の余地の生じない建設時補助金を主体とすべきである。

根本的問題は社会資本整備計画

 より根本的な改革として必要なのは,財投計画が策定される前段階である社会資本整備計画において,費用便益分析による事前の事業評価を徹底することである。財投機関の肥大化が生じるのは財投機関の意思ではなく,事業施行を命令する監督官庁さらには国会の意思決定に問題があるのである。
 現在の社会資本整備計画は,費用便益分析なしに整備水準の目標を設定し,その実現に向け事業を推進していくという考え方にたつ。例えば高速道路においては,21世紀初頭の最終的目標を総延長1万1520キロと定め,道路整備5カ年計画により,この目標に向けて整備を進めている。しかし,現在の新規着工路線は自らの料金収入で建設費を償還することは不可能であり,道路公団設立時の経営方式では建設は認められない。では,新規路線は着工されないのかというと,そうはならず,収益路線からの内部補助,利子補給,負債償還期間の延長という手段をとることによって,新規路線が建設されている。結局,財投機関の経営よりも,整備計画が優先されているのである。このような状況は本末転倒であり,各財投機関の健全経営の範囲内で,新規事業を計画するべきである。
 なお費用便益分析は絶対ではない。将来に発生する費用と便益はともに不確実なものであり,事後的に誤算が生じる可能性がある。さらに,建設を推進する圧力によって意図的に甘い見通しがたてられるおそれもある。したがって,費用便益分析の前提を詳細に公開した上で,その妥当性について幅広い討議がされることが必要であろう。
 誤算が生じた事業は,なるべく早く誤りを認めて,その誤りを正す策を講じるべきである。しかし実際には,当初の判断の誤りを認めることなく,別手段でとりつくろう傾向にある。例えば,1997年12月に開通した東京湾アクアラインでは,開業前に初年度の交通量を1日当たり2万5000台と予測したのに対し,実績は約1万台となっている。このため,1998年度では金利412億円に対し,収入は148億円しかなく,経営面での大きな誤算が生じている。このため今後の対応として,(1)京葉道路,千葉東金道路と収支をプール,(2)公的負担による金利負担の低減(資金コストを3%まで低減),(3)償還期間の50年への延長等の手段が検討されている。しかし,かりに最初から1日1万台の交通量しかないことがわかっていたとしたら,こうした手段を前提として建設に着工してはいなかったであろう。すなわち,建設の判断そのものが誤りであったのであり,建設費の償還負担が高いことが問題の本質である。直接的な問題の解決策は,誤りを認めた上で,有利子負債を低減するための追加出資をおこなうことである。
 経営効率の改善を目指すことは解決策にならない。道路の場合では,収入をあげるための経費の比率は低いので,建設されたあとの運営努力が経営成績を左右する余地は小さく,どのような路線を建設するかが経営を左右する最大の要因である。他の財投事業についてもほぼ同様のことが当てはまり,建設時の意思決定が財投機関の命運を決するといってよい。

参考文献

岩本康志(1998a),「財政投融資と社会資本整備」,岩田一政・深尾光洋編『財政投融資の経済分析』,日本経済新聞社,147-174頁。
岩本康志(1998b),「財投債と財投機関債」,『フィナンシャル・レビュー』,第47号,10月,134-153頁。
岩本康志(1999),「財投改革の行方」,『日本経済新聞』(やさしい経済学),1999年10月27日〜11月3日朝刊。

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