(本稿は,『日本経済新聞』1999年10月27日−11月3日朝刊,「やさしい経済学」に掲載された。)

財投改革の行方

岩本 康志

 運用部への預託廃止へ

 2001年4月に「第二の国家予算」と呼ばれる財政投融資の改革が始まる。蔵相と郵政相の諮問機関,資金運用審議会懇談会は今年8月,「財政投融資制度の抜本的改革に係る議論の整理」を発表し,改革の基本方針を示した。今回の改革は従来の財投の常識を大きく覆すほど抜本的な内容になる。このシリーズでは,改革で何が是正されるのか,改革後に財投はどのような姿に変わるのかを論じていきたい。
 財投とは,郵便貯金,簡易保険,公的年金などで政府機関に集まった資金を,住宅金融公庫,国民生活金融公庫をはじめとする公的金融機関のほか,日本道路公団などの公共事業実施機関,国の特別会計,地方自治体などに供給する仕組みである。俗に,資金が集まる側を入り口,資金の供給を受ける財投機関を出口と呼ぶ。入り口から出口に資金を流す部分は中間とされる。
 租税または国債で資金を調達し,国民に無償でサービスを供給することが典型的な政府活動だ。これに対し,財投では金融商品の形態で資金を集め,財投は金融的手段による財政活動といわれる。独立採算で事業ができるならば民間企業にまかせればよいので,採算性は低いが政策的な理由で必要とみなされた活動が財投事業の条件になる。財投機関の多くには,国による補助金などの財政移転がなされている。
 このように説明すると,財投の目的は出口機関のための資金調達のようだが,歴史的には入り口に集まった資金を運用することから始まった。本質的には,政府内の資金に余裕がある部門から必要な部門へ資金を融通する活動だと理解できる。財投機関の活動が多種多様なのは,事業の性格ではなく,資金の過不足があるかどうかが財投との関係を決めているからである。
 入り口側の資金余裕額と出口側の不足額はそれぞれの事情で決まり,両者が一致する必然性はない。したがって,入り口と出口を単純につないで資金を流そうとすると,どちらかの規模の決定に無理が生じる。このため「はじめに原資ありき」で,入り口側で資金が集まり過ぎるため,政府の役割としての必然性の薄い事業が出口側で実施されているのではとの批判がある。
 今回の財投改革では,郵便貯金,年金積立金を大蔵省の資金運用部に預託する義務を廃止し,「入り口機関」がそれぞれ自主運用することを予定している。資金を必要とする財投機関は必要に応じて市場から資金を調達する必要に迫られ,「はじめに原資ありき」の問題は解消するはずだ。

 資金の移動は起きるか

 財政投融資の改革で,郵便貯金など入り口からの資金が市場に流入し,財投機関は市場から資金を調達することになる。年間数十兆円にのぼる巨額資金の流出入で資本市場が混乱するとの懸念がある。一方,混乱を回避するために郵貯・年金が従来通り財投に投資するならば,改革にならないという批判も聞こえる。
 だが,適切な手順を踏めば,資本市場が混乱しない形で新体制に移行することは可能だと考える。郵貯などの大蔵省への預託廃止を新規資金に限れば,すでに資金運用部に預託済みの資金は償還後,段階的に自主運用に回されることになる。すでに新規資金の相当部分が自主運用に回されており,改革に向けて自主運用枠を拡大していくことで,資金の変化を平滑化できる。
 さらに大事なことは,財投金利を市場金利に合わせることだ。財投と資本市場の代替性が高くなれば,両者の統合の混乱は回避できる。財投金利は市場金利に連動するとされるが,実際には連動対象の国債の満期と財投預託期間は異なり,最近は年金財政に配慮して財投金利を0.1%程度高く設定している。改善の余地はある。
 自主運用後も安全資産を保有する必要があるので,郵貯・年金積立金がまったく財投に回らないとは考えられない。だが,改革の趣旨によれば,それは郵貯・年金側が自主的に判断することで,大蔵省資金運用部側が従来通りの資金供給を求めることは,改革の理念に反する。
 財投を巡る資金移動に関してほかに「郵貯の2000年問題」がある。これは,200年から2年間のうちに,10年前の高利時に預けられた定額貯金が大量に満期を迎えて償還されることから起き,この資金がどこに流れるのかが金融関係者の大きな関心となっている。しかし,預金者の立場では,有利な条件を求めて資金を動かすことに何ら問題はなく,資金シフト自体をとらえて騒ぎ立てるのはおかしい。10年前の定額貯金金利が高過ぎたことが大きな要因であり,資金シフトが生じたとしても,10年前の問題の修正に過ぎない。
 だが,10年前の郵貯への資金流入を完全に相殺する資金移動は起きないだろう。定額貯金の金利設定ルールは93年に改められ,いまではあまり非合理的な金利にならない。定額貯金と競合する民間の金融商品の間で大きな資金移動が生じるほどの顕著な差はない。利回りが同水準ならば,預金者の資産選択には現状維持の傾向がある。
 仮に郵貯からの資金流出が生じても,財投全体の規模から見ればやりくりできる範囲で,財投資金が枯渇し,財投機関の資金繰りが困難になる事態も起こり得ない。

 財投債か政府保証債か

 財投改革で郵便貯金など現在の資金の入り口と中間の大蔵省資金運用部が切り離されれば,どれだけの資金をどのようにして財投機関が調達するかという問題が新たに浮上する。
 資金調達の手段としては?各財投機関が政府保証なしで個別に調達する財投機関債?政府保証付きで各財投機関が個別に調達する政府保証債?政府保証付きで大蔵省資金運用部が一括し調達する財投債――の三つが検討されている。改革後は財投債を中心にこの三つの手段を併用することになると観測される。
 望ましい資金調達方法の選択に関する基本的な考え方を整理したい。ここには2つの選択軸がある。第1は,政府保証をつけるべきかどうか。第2は,各財投機関が独自に資金を調達するか,資金運用部が調達するかである。
 まず,後者の選択肢を考えてみよう。これまで資金運用部資金の規模は入り口側の事情で決まっており,出口側の資金需要との差が政府保証債の規模を決めていた。だが,改革後は財投債と政府保証債の配分は,資金運用部の意思で操作可能になる。
 政府保証付きの財投債は,投資家の視点では区別がないように従来の国債と同じ形で発行される。通常の国債と違うのは財投機関の収入によって償還されることだ。現在発行されている財投機関の政府保証債は国債よりも0.2%程度高めの金利がつけられている。両者の信用力には差がないと考えられ,市場での流通性が低いという流動性プレミアムが政府保証債に課せられていると理解できる。
 したがって,調達コストを最小化しようとすれば,必要資金をすべて財投債で調達する方がよい。ただ,資金運用部がすべての財投機関の資金調達業務をとりしきることになれば事実上の巨大な国営銀行が誕生すると言い換えることもできる。
 反対に,資金調達業務を民間の役割として資金運用部の機能を最小化するならば,財投債を一切発行せず,各財投機関は民間金融機関を主幹事会社として,政府保証債ですべての資金を調達するという選択肢もあり得る。ただ,この場合に各財投機関は流動性プレミアムを支払ったうえ,これまで資金運用部が果たしてきた金利リスクの管理と期間変換機能を引き受ける必要が生じてくる。これらの機能をこれまで,資金運用部に集約しておいたことで生じる規模の利益をあきらめなければならない。
 財投債と政府保証債の選択は資金運用部が所属する大蔵省理財局の役割を決定する問題で,当事者の利害だけでなく,中立的な立場で議論を深める必要がある。

財投機関債と市場規律

 政府による特殊法人改革は,統合による法人の数合わせに終始し,事業のスリム化にはまったく手がつけられなかった。財投機関に政府保証のない財投機関債を発行させる案は,これまで運営効率化の意欲がなかった財投機関の意識を市場規模によって変え,実行ある改革を進める狙いを持つ。事業内容に問題があったり,情報開示が不十分だったりする財投機関は市場から資金を調達できずに淘汰されるという考えが背景にある。
 だが,こうした狙い通りに物事が進まない可能性もある。政府が制御できないので監視を市場にまかすということであれば,財投機関債は「企業統治に難点あり」とレッテルを張られて登場することになり,投資家には決して魅力的な商品にならない。
 財投機関債による市場規律が機能するには,政府保証をつけないことが厳格に守られる必要がある。仮に発行主体の財投機関の経営が破たんしても最終的に政府が債務を保証するだろうと市場が考えれば,監視する動機がなくなる。こうなれば,独自に資金調達できるという部分で,いくらでも暗黙の政府保証を引き出すという逆効果をもたらす。
政府が財投機関を救済しないことを保証することは相当に困難である。例えば,財投機関の事業を廃止したり,債権者に財投機関を引き渡す(民営化)ことが著しい社会的問題を引き起こす場合は,政府による救済は事後的に最善な選択となる。
 さらに,高速道路や整備新幹線の事情でわかるように,財投の対象になる公共事業には大きな政治的圧力がかかる。政府が断固として事業を推進したいとすれば,十分な補助金を与えて採算性を保証すれば,財投機関債のもとでも公共事業を肥大化させることは可能だ。市場が判断するのは採算性であって,事業が社会的に望ましいかどうかではない。
 したがって,政府の活動としての必然性が高い財投機関や,政府からの補助金の比重が大きい機関については,財投機関債による資金調達は望ましくない。逆に,破たん時に廃止や民営化が可能で,政府からの財政移転がごくわずかな財投機関債では,財投機関債は有効だと考えられる。ただ,破たん時に廃止や民営化が可能なら,どうして始めからそうしないかと考えれば,財投機関債の発行で期待される市場規律が発揮される場は限定されている。
 財投機関債は,財投機関の運営は政府,リスクは民間という形態をとる。このような運営と危険負担の分離は危険だ。このため,どうしても政府の責任で事業のリスクを管理することが必要になる。

コスト分析で事業評価

 財投機関の事業が政府の活動として適切かどうかを点検することは,本来最も重要な作業だ。こうしたチェック機能を設けずに資金調達の仕組みを変えても,財投機関の改革は進まない。
 財投機関の意義を評価するには,民営化という選択肢と比較するのが有効だ。民営化した場合の弊害は2つ考えられる。第1に,政府からの補助金がなければ採算のとれない事業は廃止される。第2に,民間企業の自由な活動にまかせると社会的な損失が生じ,規制という手段によっても制御できなくなる可能性だ。
 専門的には,民営化の直接の判断条件は社会的な損失を与えるかどうかである。補助金を厳密にルール化できれば,民営化の選択肢も考えられる。しかし,事業内容と補助金が密接に関連し,政府が必然的にリスクを負う場合は公的企業の形態をとるのが望ましい。逆にこうした問題がない事業は民営化すべきだ。このような判断基準で財投機関の活動を精査する必要がある。
 政府からの補助金は市場では回収できない社会的便益に対応するべきで,非効率な事業に対する損失補てんであってはならない。その検証のためには,事業の社会的便益の評価と費用の正確に把握しなければならない。財投機関の情報公開はこれまで十分ではなかったが,改革では,企業会計に準拠した会計制度への転換,民間以上の情報開示基準の適用などが検討されている。
 財政投融資の政策的費用は将来発生する性格を持ち,単年度で予算を審議する財政の意思決定の仕組みにそぐわない。この問題に対処するために大蔵省理財局が進めているのが,政策コスト分析の適用だ。
 政策コスト分析は,財投機関が現在の事業を継続し,新規事業に手を広げないとの前提で,現在の事業に由来する補助金などの財政支出を現在価値化して提示する。これまで隠れていた,将来に発生する費用を把握できるようになった。
 財投機関の事業の将来を予測することで,財投資金の償還可能性も検証できる。事業収入を多めに見積もっていないか,目を光らせる必要がある。
 意思決定の判断基準は,財投機関の追加的事業のもたらす限界費用である。限界費用を知るには,二時点間の政策コストの差を求めるなどして,間接的に推定する必要がある。
政策コスト分析は事業費用を把握することが目的で,どのようにすれば財投事業の社会的便益を客観的に評価できるかは今後の課題だ。最終的には,意思決定時点で国民から厳格な評価を下す仕組みを構築すべきだが,そこに到達するまでの作業は多い。

信用リスク管理の不備

 郵貯・年金の大蔵省資金運用部への預託廃止,財投債・財投機関債などの発行,政策コスト分析の導入により,財政投融資は大きく変わろうとしている。しかし,これらの改革でも解決できない問題点として,財投の信用リスクの管理体制の不備を指摘しておきたい。
 財投が不良資産を抱え込んでいるのではないかという批判がある。その是非は,どの視点から財投を見るかによる。例えば,旧国鉄の債務は資産の裏打ちがない純粋に後ろ向きの債務だが,資金運用部から見れば一般会計が償還を保証する安全資産だった。これは,信用リスクはすべて外部の一般会計に負担させ,財投は信用リスクを負わないという認識だ。だが,最終的に重要なのは納税者がどれだけの負担することになるかである。納税者の立場に立ち,一般会計の抱える信用リスクを管理する仕組みは改革後の財投の仕組みにもない。
 この問題を解決するには政策コスト分析も有効でない。政策コスト分析はひとつのシナリオにもとづく仮定計算で,政府が負担するリスクを十分に表現できていない。情報開示の仕組みをさらに強化すべきだ。
 さらに一歩進み,政府が負担するリスクをできるだけ小さくする手法を取り入れることも検討する必要がある。まず,補助金などの財政支出について,明確なルールを定め,意思決定時点で将来必要な財政支出を確定させるべきだ。民間がリスクを負担する環境を整え,事業の民間委託を進め,公共事業については民間に資金調達とリスク負担をさせるPFIを活用することも検討課題になるだろう。
 財投の司令塔である大蔵省理財局に信用リスクの認識がないと,政府保証の権限主体である理財局と,これに最終的な責任を持つ一般会計が分離され,責任体系が不備が生じる。
この理由から,財投資金の危険な使途として赤字ファイナンスがある。政府内部だけで資金を融通するのでは,貸し手側と借り手側の緊張関係が薄らぎ,経営改善を強く迫る圧力がない。本来,負債形態である財投からの借り入れは,いや応なしに利子の支払いを求める圧力であり,問題解決を促す効果を持つ。これが「ある時払いの催促なし」である出資金との大きな違いだ。だが,せっかくの圧力も,貸し手の行動次第では有効に働かない。
 政府部門の赤字ファイナンスにはもっと慎重になるべきだ。問題の先送りを避けるため事前に厳密なルールを策定し,経営が改善されない場合は,財投機関債への資金供給を取りやめる選択が自動的に発動されるような仕組みが必要といえる。

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