(本稿は,『日本経済新聞』1997年1月30日朝刊,「経済教室」に掲載された。) 

公的医療保険一元化を

岩本 康志
@ 公的医療保険の給付と負担の制度間格差は,歴史的経緯により,被保険者の健康状態と負担能力が制度間で大きく違うことが主因である。 

A 根本的な解決策は,すべての国民を被保険者集団とした制度のもとで共通の給付と負担の仕組みを適用する,「制度一元化」である。現行の組織を維持し,財政調整方式を変更すれば,わずかの移行費用で一元化は実現できる。 

B 各保険の努力で回避できない危険だけを一元的制度で負担することにより,医療費節約などの自助努力の誘因を各保険にもたせることが可能である。 


被保険者集団の設計見直せ 

 伸び続ける医療費が医療保険財政を圧迫している。政府は,97年5月から,医療保険の負担増を計画しているが,さらに抜本的な医療保険改革が必要とされている。

 医療保険の根深い問題として,制度間での財政状態の格差が存在する。老人保健,国民健康保険(国保),政府管掌健康保険は,自立運営が困難で,政府からの財政補助(公費負担)を受けている。さらに国保内では,自治体間の大きな保険料格差がある。

 老人保健の給付の七割は各制度からの拠出金で賄われているが,老人医療費の高騰が,拠出する側の財政を圧迫し,制度間の利害対立要因となっている。

 また,制度間の財政状態の格差は,給付と負担の条件に大きな格差を生んでいる。老人が小額の定額負担で済むため気軽に医者にかかることや,国保に保険料の滞納者が多いことは,こうした格差の本当の原因ではない。財政状態の格差が発生するのは,被保険者の健康状態と保険料負担能力が制度間で大きく違っているからである。

 保険成立の歴史的な経緯が,被保険者集団の設計をいびつにした。日本の公的医療保険は,22年(大正11年)の健康保険法の施行から61年の国民皆保険達成まで,40年にわたって次第に加入者の範囲を広げてきた。先発の被用者保険制度がうまく運営できた理由は,健康で所得のある人たちを中心として被保険者集団を構成することができたからである。保険が成立しやすい人たちから順に保険組合ができれば,市町村国保のような後発の組織ほど運営に問題が生じてくるのは理の当然である。

 このように,国民を保険の成立しやすい人たちと成立しにくい人たちに分断して,「それぞれで努力しておやりなさい」というのが現状の姿である。そもそもの被保険者集団の設計の問題に対処する方法を追求すべきではないのか。

 その究極の方法は,すべての国民を被保険者集団とした制度で危険をプールし,共通の給付と負担の仕組みを適用することである。これは,保険制度一元化である。

そもそも保険とは,個別主体の努力によって回避できない危険を集団で分散させる仕組みである。国民がどの保険に加入するかは,本人あるいは家族の職業,居住地等によってほぼ自動的に決定される。国民皆保険を維持するため,各保険制度は低所得者あるいは健康に問題のある者の加入を拒むことはできない。

 したがって,年齢構成の違いから生じる保険給付費の格差や,保険料負担能力の違いによる保険料収入の格差は,各制度の運営上の努力で解消できる性質の問題ではない。それらを全体でプールする仕組みの存在は,保険原理から要請され,それが存在しないことの方がおかしい。

 被保険者集団の設計において,日本の医療保険は,最初からボタンをかけ違っている。これを放置したまま,いかにとりつくろうとしても,おかしな格好は改まらない。最初からボタンをかけ直さなければ,国保の自治体間格差のような難問は到底解決できない。
 

 財政調整改革 現実的な選択

 制度一元化の構想は過去にもあったが,日の目を見ていないのは,到底実現不可能な理想論であると考えられてきたからである。確かに,現行制度をご破算にして,巨大な単一の保険組合をつくりあげるのは,あまりにも現状から遠いゴールであり,現実的ではない。

 しかし,一元化の実現手段は,これだけではない。本稿で提案する一元化案は,現行の制度を基盤にしながら,給付と負担の制度を共通なものにして,制度全体で収支均等するように制度間の財政調整をおこなうというものである。

 この場合,一元化のためには,保険料をプールして各保険者に再配分する仕組み(制度間調整勘定)をつくればよいことになる。実は,そのような仕組みはすでに存在している。老人保健制度がそれである。老人保健拠出金は,各保険者から社会保険診療支払基金に集められ,老人の所属する保険に配分されている。この事務処理のインフラを活用すれば,移行費用は電算処理システムのソフトの書き替えだけですむ。一元化試案での医療費の流れは,図のようになる。

一元化試案での医療費 一元化を妨げるもうひとつの障害は,財政状態の良い保険制度が,問題のある制度の尻ぬぐいをしている,という不満をもつことにある。

 こうした不満にも正面からこたえなければならない。そのためには,各制度の努力をこえる危険のみを財政調整でプールし,各保険者の努力に依存する危険は自らが負担するという仕組みにすることである。

 筆者の試案では,保険者の医療費負担の仕組みは,図の「※」にあるような,2つの項目からなる。

 全体で負担すべき危険は,年齢構成の違いによる医療費の違いである。その負担方式を算定するために,「標準医療費」の概念を導入する。これは,各制度の加入者が平均的にどれだけ医療費をつかうことになるのかを,前年度の実績等をもとに年齢別に計算したものである。

 全制度の加入者の年齢別標準医療費に,各保険の年齢別加入者をかけて,各保険の「標準医療費総額」を計算する。この標準医療費分は,制度間調整勘定が収支均衡するように,各制度共通の方式で定められた「標準保険料」を各保険が支払うことで負担する。これが,第1の支払い項目である。

 もうひとつの支払い項目は,実際にかかった医療費と標準医療費の差額である。これが,全体でプールされず,各保険が負担しなければならない危険である。

 一元的制度から見れば,現行制度は標準保険料のかわりに標準医療費を支払っている形になる。つまり,一元化試案は,審査支払機関(支払基金と国民健康保険団体連合会)への支払い方法をほんの少し変えただけなのである。
 

 危険の負担と自助努力

 しかし,この少しの違いが多くの問題を解決する。年齢構成で説明される医療費格差は,財政調整によって負担される。国保の自治体間格差のうち,年齢構成が原因となっている部分も一挙に解消する。

 実際の医療費が標準医療費を上回った場合には,保険者は,標準保険料以上の保険料を加入者から徴収しなければならない。一方,ある保険者が加入者の健康管理を徹底するなどして医療費を節約すれば,その部分は保険料引き下げという形でその保険の加入者に還元できる。また,制度間調整勘定に支払う標準保険料を加入者ベースで計算すれば,保険料の滞納分はその保険のなかで負担しなければならず,他の保険者が穴埋めすることは起こらない。

 このように,制度間調整勘定と個別保険で負担する危険を区別することにより,危険負担と自助努力の調和が達成される。

 ドイツの疾病保険は95年に,こうした精神をもつ仕組みを取り入れた。

 公費負担は,個別制度に対してではなく,制度間調整勘定に対しておこなわれるように改革する。これにより,公費負担は全保険制度に対する一律の補助に転換し,公平性が確保される。

 公費負担や財政調整が現状のように中途半端な弱者救済手段になっている限り,医療費が上昇するたびに,負担のあり方が問題になるだろう。しかし,医療費はどういう形態で支払っても最終的には国民負担であるから,これはいびつな制度が生みだした内輪の混乱にすぎない。制度一元化により,こうした余計な問題を除去し,浮いた労力を医療費問題(効率的な医療供給・価格決定方式の追求)に振り向けるべきである。


一般向け記事へ戻る

岩本康志のホームページへ戻る

(C) 1997 Yasushi Iwamoto