(本稿は,『日本経済新聞』1996年1月23日−29日朝刊,「やさしい経済学」に掲載された。) 

隠れ借金

岩本 康志
 財政の伏魔殿

 22日に招集された通常国会で審議が始まる96年度予算の政府案では,新規国債発行額が前年度当初予算より8兆4310億円増の21兆290億円と急激に膨らんだ。その大きな原因は,「隠れ借金」によるやり繰りの行き詰りとだと報道されている。

 借金にはフローの借金とストックの借金があり,隠れ借金も例外ではない。フローの隠れ借金は,一般会計が特別会計から資金を借り入れたり,特別会計への繰入れを繰り延べるなど,国債発行額を圧縮する会計上の操作を指す。ストックの隠れ借金は,国債以外の一般会計の債務である。

 隠れ借金は公式の予算用語ではない。大蔵省は「隠れ借金」という言葉を正式には用いないし,わずかの資料を公表しているものの,積極的に広報しているわけではない。大蔵省の資料には,ストックの隠れ借金をまとめた「今後処理を要する措置」と,特例法によるフローの隠れ借金の図解があるだけである。

 こうした事情から,隠れ借金は,その構造と意味が一般には十分に理解されず,複雑な財政制度のなかの伏魔殿のような扱いがされてきてた。しかし,若干の経済学的分析により,隠れ借金の構造と意味を理解しておくことは有益であると思われる。

 細かい話になるが,通常はフローの借金がストックの借金に蓄積されるのだが,隠れ借金のなかには,フローの隠れ借金とされながらストックの隠れ借金に積み上がらないものや,フローの隠れ借金として把握されないがストックの隠れ借金に積み上がるものがある。こうした違いを理解することで,次のようなナゾを解くカギがみえてくる。

@なぜ95年度予算で,資金繰りの苦しい国債整理基金特別会計から3兆2457億円もの隠れ借金をしながら,100兆円以上の資産をもつ年金関係の会計から6522億円しか隠れ借金をしなかったのか。

Aなぜ隠れ借金残高総額が,人によって40兆円といわれたり,65兆円といわれるなど,25兆円もの開きがあるのか。

 次回からは,隠れ借金のタイプを,@国債整理基金特別会計への定率繰り入れA一般会計以外で発生した借金の肩代わりB特別会計からの借入れ――の3種類に分類し,その構造を議論し,ナゾを解明してみよう。
 

 定率繰入れの停止

 代表的な隠れ借金とされるのが,国債整理基金特別会計への定率繰り入れの停止である。単純化して説明しよう。

 現行の国債償還制度では,国債による借金は期間60年で元金定率返済されることになっている。定率繰入れとは,この返済資金が毎年,一般会計から国債整理基金へ繰り入れられることをいう。しかし,国債の満期は10年のため,償還のための資金が満期まで基金に蓄積されることになる。このため,満期までの間に定率繰り入れを停止しても,国債整理基金の資金繰りはすぐには行き詰まらない。隠れ借金は,この事実を利用している。

 定率繰り入れが停止されると,一般会計の歳出項目である国債費が減少する。他の歳入歳出項目に変化がなければ,国債費の減少分だけ新規国債発行額が減少する。一方,定率繰り入れがあれば国債整理基金が保有していたであろう既発債が,かわりに市中で保有されることになる。結果的に,定率繰入れの停止は,市中保有国債を新発債から既発債へ転換する機能をもつ。このとき,市中保有国債の総額は変化しないので,定率繰り入れの停止は,元金返済の猶予であることが理解できる。

 これまで停止された繰り入れ額の累計は,25兆円弱に達する。大蔵省はこの累計額を,ストックの隠れ借金とは見なしていない。しかし,人によっては独自にこれを隠れ借金に加算して,大蔵省資料から25兆円多い数値を隠れ借金残高として引用することがある。どちらが正しいのか。

 繰り入れ停止で返済が繰り延べられた元金は,国債残高として計上されている。したがって,それを隠れ借金として計上すると債務の二重計算となるので,大蔵省の取り扱いの方が適切である。つまり,定率繰り入れの停止は,ストックの隠れ借金には積み上がらない。

 元金返済が滞りながら,支出減少という形で収支は改善するとは,少し奇妙な話である。これは,国債費が元金返済と利払いの両者を区別しないため,両者が同じ支出増大圧力として扱われるからである。G5諸国(日,米,独,英,仏)のなかでは,ドイツが同じような会計方式をとるが,他の三国では,国債費のうちの元金償還部分は歳出項目から除かれ,国債発行額は歳入項目から除外されている。このため歳入と歳出は一致しないが,その差額は財政赤字となる。

 もし,日本がこうした方式をとっていれば,定率繰入れを停止しても,歳出,歳入ともに変化せず,隠れ借金を作り出すことができなくなる。
 

 特別会計からの借入れ

 前回は隠れ借金のタイプのうち,定率繰り入れの停止について述べた。今回は,他の2つのタイプを見てみよう。

 第2のタイプは,一般会計以外の部分に発生した累積債務を,一般会計が肩代わりすることである。これは,@日本国有鉄道清算事業団に関連する債務(大蔵省資料では96年3月末で約27兆円)A地方財政対策に関連する債務(同9兆3147億円)B政府管掌健康保険の棚上げ債務(同1兆4792億円)――が相当する。

 これらは借金の発生源が一般会計の外部にあるので,フローの隠れ借金と認識されないが,一般会計が債務を肩代わりした時点でストックの隠れ借金となる。フローの隠れ借金とならないため,一般の注目度が低いが,将来のストックの隠れ借金増大の効果は過小評価できない。

 例えば,Aの発生源となる地方交付税及び譲与税特別会計は,大幅な支出超過により,96年度予算で5兆7500億円を資金運用部から借り入れる。この借入金のかなりの部分は,やがて一般会計に債務継承され,ストックの隠れ借金となることが予想される。

 第3のタイプは,特別会計からの借り入れである。これはさらに3種類に分けられる。

 第1は,将来,一般会計に繰り入れられる予定の特別会計の黒字を先食いすることである。これはフローの隠れ借金になるが,将来の歳入が減少することで清算されるので,ストックの隠れ借金には積み上がらない。

 第2は,特別会計からの借り入れである。83,94,95年度に行われた,自賠責特会からの借り入れがその例である。これはストックの隠れ借金となり,自賠責特会の貸借対照表の資産項目に計上されている。

 第3は,一般会計から特別会計への繰り入れるべき歳出を,将来に先延ばしすることである。過去,この方式で,国民年金,政管健保,厚生年金,雇用保険からの隠れ借金が行われた。これらは,特別会計の貸借対照表には表れないことが,第2のタイプと異なる点である。

 80年代の財政再建路線でも,見かけ上の歳出削減策として,特別会計への繰り入れ停止が多用された。それらの多くは,80年代後半の税収好調時にいったん返済されたが,90年代にはいり,税収の落ち込みで,再び復活してきた。
 

 年金会計の問題点

 かりにあなたが大蔵省主計局に出向したとしよう。上司から「1兆円の隠れ借金をひねり出せ」と指示されたらどうするか。

 このシリーズを読んでいれば,公務員試験を一番で合格する頭脳は,かならずしも必要ではない。隠れ借金のつくり方のコツは,比較的単純である。特別会計を見渡して,資金の余裕のあるものを見つけてきて,そこから借り入れればよい。

 ここでこわい話は,この方法による隠れ借金の潜在的可能性は非常に大きいことである。現在,金額の大きい借金の相手先は,国民年金特別会計と厚生保険特別会計(のなかの厚生年金)の2つである。これらの会計が現在,多額の黒字を計上しており,見かけのうえで収支の悪化が目立たないことが,多額の隠れ借金ができる理由となっている。

 厚生年金を例にとろう。95年度当初予算では,厚生年金へは2兆8259億円が繰り入れられ,4150億円が停止された。しかし,厚生保険特会年金勘定の予算は6兆8848億円の黒字となっており,かりに厚生年金への繰り入れが全額停止されても,年金勘定の黒字を維持でき,一般会計はさらに3兆円弱の隠れ借金を手にすることができたわけである。

 さらにこわい話は,一般会計に隠れ借金を提供しているこれら年金会計の黒字自体が,実は隠れ借金と同じ方法によって生み出されているということである。

 年金会計の黒字は,将来の給付にあてられる社会保険料が年金会計の資産として計上されるために発生する。しかし,これらは本来年金加入者の資産と考えるべきである。民間の年金制度では,会計の黒字として計上されずに,責任準備金に繰り入れられる。したがって,年金会計の積立金は,原理的にはその全額が隠れ借金である。

 しかし,それだけでは話がおわらない。現在の公的年金の積立金は100兆円を超えるが,将来の年金給付を保険料から完全に積み立てておくべき水準に比べ,はるかに不足していることが指摘されている。

 米ハーバード大のフェルドスタイン教授は,貯蓄のライフサイクル仮説が成立していれば,この不足部分は,そのまま国民貯蓄額の減少に結び付くと指摘した。いいかえれば,公的年金の積み立て不足部分は,国債発行と同じ効果をもつのである(アトキンソン=スティグリッツの同値定理)。
 

 代替的な財政指標

 隠れ借金があまりに駆使されると,新規国債発行額は財政事情を正確に反映しなくなる。では,会計操作に左右されず,財政事情の実態が正しく表現されるような財政指標は存在するのであろうか。

 第1の方法は,前回までに説明したように,新規の国債発行額や借入金を歳入に含まず,国債償還額と借入金元本返済を歳出に含まないように制度変更することである。こうすると収支じりは定率繰り入れ停止や特別会計からの借入れによる隠れ借金により左右されない。しかし,この場合でも,国債整理基金特会以外の特別会計への繰入れ停止は歳出を減少させ,収支じりを見かけ上改善する。

 第2の方法は,一般会計と特別会計の統合勘定を作成することである。隠れ借金は,一般会計の収支を実態よりも見かけ上改善するが,特別会計の収支は悪化する。しかし,両者を統合すれば,おたがいの効果は打ち消し合う。

 経済分析で実際に用いられ,隠れ借金の影響を受けない指標には,「国民経済計算」と「世代会計」がある。

 「国民経済計算」は,上にのべた歳入・歳出の取り扱いをしていると同時に,特別会計が統合されているので,一般政府の収支は,一般会計と特別会計の間のやり取りによる隠れ借金から独立である。しかし前回にのべたように公的年金(社会保障基金)部分の収支の取り扱いには問題が残る。

 この問題にまで対処したのが,米カリフォルニア大のアウアバック教授,米クリーブランド連銀のゴーケール氏,米ボストン大のコトリコフ教授が開発した「世代会計」である。世代会計では,現状の政策が維持されるとの仮定のもとで,現存する世代の純受益額(受益と負担の差額)を計測する。現存する世代の純受益額と現在の債務残高は,将来世代が負担しなければならない。そこで,現存世代の純受益額と将来世代の純受益額とを比較して,どれだけの負担が将来の世代に先送りされているかを見ようとするものである。

 こうして世代会計は,民主主義政府での意思決定が問題を先送りにし,将来に回そうとしているツケを明示しようとするのである。「国民経済計算」が影響を受けない隠れ借金には,世代会計も影響を受けない。それに加えて,年金基金の積み立て不足は,世代会計においては将来世代の負担という形で明確に把握されることになる。
 

 財政再建への課題

 最後に,ここ数年の予算における隠れ借金の多用から,われわれは何を教訓として学ばなければならないかを議論して,シリーズのまとめとしたい。

 会計の透明性を失われたこともさることながら,隠れ借金の最大の問題は,財政運営の目標を混乱させたことにある。

 80年代の財政再建期では,「XX年後に赤字国債発行をゼロに」を目標とした歳出削減策がとられた。90年度当初予算での赤字国債ゼロの目標が一応達成されたが,その過程で隠れ借金による見かけ上の支出削減や歳入増加策がとられ,実態は赤字財政のままだったのである。

 バブル期の税収好調で,隠れ借金は小休止を得たが,バブル崩壊後の税収の落ち込みで,再び財政事情は厳しくなった。しかし,「いったん赤字国債を発行すると,乱発を招く」との論理で,赤字国債発行を避けるために隠れ借金が多用された。この段階で,構造改革という困難な努力を避け,目標の数値そのものを会計操作で変えていった事実が,衆目の前にさらされたのである。

 昨年11月に前武村蔵相による「財政危機宣言」をし,96年度予算では国債依存度は28%に高まり,80年代初頭の財政危機時に時計の針が戻ったかのようである。しかし,当時と違うことは,赤字国債発行額という努力目標が,本来なすべき構造改革ではなく,手先の会計処理により操作可能であり,かつ実際に操作されたことを,われわれが知ったことである。

 民主主義政府の複雑な意志決定のもとでは,財政再建には何らかの目標を設定することが必要であり,シーリングや「XX年後の赤字国債発行ゼロ」は,それなりの成果をおさめた。しかし,これらの財政再建で,80年代と同様に赤字国債発行額を目標としても,構造改革が困難になると再び隠れ借金に頼る事態が訪れるであろう。

 確かに96年度予算編成では,会計の透明性の重視から隠れ借金の利用は抑えられた。しかし,これまでの経験から判断すると,透明性の要求が財政事情よりも高い優先順位を持ち続けるとは考えにくい。

 したがって,実効ある財政再建のためには,本来の財政事情を正しく反映し,前回述べたような,会計操作により左右されない指標を設定することが出発点となる。このハードルがクリアされないため,現在の財政再建の具体像が見えてこないのである。これが,われわれが隠れ借金から教訓として,学ばねばならないことである。


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